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静かな生活

だいたいにおいて静かな生活を送っている。早朝に起きて仕事をする。時間になったらごはんをつくって食べて、夜まで仕事をする。本を読み、効率よく過ごせる程度に部屋を整え、ウイスキーをごく薄くソーダで割って流し込み、寝る。誰とも話さない日も多い。静かでみちたりている。孤独ではあるが、それは自分で選んだ道だ。

今朝も変わらない1日の始まりだったが、9時を回ったところでメッセンジャーが立ち上がった。少し年下の女友だちである。数年前に出会った彼女とは、たまにどちらからともなく誘い合っては食事をともにする。きょう一緒にランチ行こうよと、彼女のアイコンが言っている。いいねと返し、出かける支度をした。カレーが大好きという彼女に、美味しいお店につれていってもらおう。

「疲れてる?」

インドカレー屋に入ってひとしきり雑談を交わすと、こんな言葉が飛んできた。そう見えるかなと返すと、彼女は「時期的なものもあるんじゃない」と言ってナンをちぎった。彼女がえびのカレー、私がバターチキンカレー。店内は薄暗く、歌うようにメニューを読み上げるインド人店員の声が心地よく響く。

「この時期、あなたはだいたい荒れてる」
「そうかな。去年もこの時期にごはんしたよね。どうだった」
「荒れてた」
「ごめん」

いいの、と彼女は言った。こういうのが気晴らしになってるなら嬉しいよ。そして手を挙げると、ナンのおかわりを頼んだ。この店ではナンのおかわりが無料なのだ。彼女は焼き立てのナンを四苦八苦しながら半分に割り、よりによって大きいほうを私の皿に置いた。「食べなきゃ。栄養つけなよ」って、もうお腹いっぱいなのに。

ナンは大きく、そして熱かった。ギーで指先を光らせながら、ちぎっては口に入れ、またちぎっては口に入れる。もう満腹だがそれでも食べる。これは栄養なのだ。体と心に必要なものなのだ。

いまの生活は自分で選んだ。とても傷つくことがあって、ひとのつながりを少しずつ断った。人生はすべて選択の結果であり、責任をとるのはほかならぬ自分だ。だから感情をおさえながら、静かに暮らしている。でも、それでも。私のことを忘れずにいてくれて、ありがとう。


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