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うらぎり

自分本位な人は手ひどく他人を裏切る。まるでナイフで断ち切るかのように。
優しい人は、優しく裏切る。お互いに責任があったよね、とまるく収める人もいれば自分が悪いと重い荷を背負う人もいる。それはまるでぬるま湯が冷めていくかのような自然の摂理に見えて「そうかあ」なんて納得しかけるのだけれど、まあ裏切りであることに変わりはない。どちらも絶望の谷に突き落とされるだけなのだ。私も、いろいろな人にいろいろな裏切り方をしてきたと思う。仕方のないときもあればずるいときもあった。それぞれがそれぞれのずるさを、飲み込み合いながら生きていくのだろうと、ずるく自分を肯定する。

ではどうすればいいのだろう。すくなくとも自分は自分を裏切らないはずだーーと思いもするがそうでもない。私が人生でかなり強く影響を受けた小説に山本文緒さんの『恋愛中毒』という作品があるのだけれど、主人公のこんなモノローグがある。

私は好きな人の手を強く握りすぎる。
相手が痛がっていることにすら気がつかない。
だからもう二度と誰の手も握らないように。
諦めると決めたことを、ちゃんときれいに諦めるように。
二度と会わないと決めた人とは、本当に二度と会わないでいるように。
私が私を裏切ることがないように。
他人を愛するぐらいなら、自分自身を愛するように。

山本文緒『恋愛中毒』角川文庫

初めて読んでから18年ほど経つが、何度思い出しても本当に、ほんとうに怖い小説だと思う。生々しすぎて。わかりすぎて。自分が自分をーーこれ以上書くとネタバレになってしまうから控えるが、自分で自分が怖くなる本なのだ。もしも「人生を変えた小説はなんですか」と聞かれたら、私はこの本を必ず候補に挙げる。本の角が擦り切れるほどに読んだ。そして愛を思った。行動も起こした。だから思う。自分自身を愛するように、では解決できないものもある。だって自分は自分を、裏切ることもあるから。

長年、葛藤し続けてきて思う。他人も自分も、「私」が裏切られるようなことも裏切るようなことも、悲しいけれどもどうしても起こってしまう。そういうものなのだ。人生で叶えたいことがあって、人と人との関わり方もあって、欲望も情もあって、そのなかでズレが生じるのはしかたのないことだ。だからその裏切りが特別なことだなんて思わなくていい。残念だけれども、今はそういうことなのだと優しく受け流してあげればいいのだ。裏切りなんて、特別なこととして思わなくても、大丈夫なのだよね。夏が終わって秋が来て、風が吹いて赤く色づいた晩秋の桜の葉が、はらはらと舞い落ちるようなものなのだ。ただそれを見つめて、自分は自分として生きるだけだ。


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