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好みと好き

1、恋愛ってむずかしい
2、自分のはなし
3、なりたい姿


1、恋愛ってむずかしい


第一に好きとはなんなのか同性間、親、友達、先生
色々な好きがあると思うし 多様化が進む世の中で
未だにわからなくなることが多い
よく言うと思う、自論としても思ってることで(すき)には
LOVE   と LIKEがある。

LIKEのはなし、
親や友人に向けるすき アーティストや作家さんの作品や生き様 考え方に対するすき なんか分からないけどこの人はすき(雰囲気?というべき?)
ありがたい事にそんな人に囲まれる人生は送ってこれた、自分の体感的に突発的に生まれるすきが多いのはこちらな気がする。インスタやツイッターでlikeが❤️マークであらわされてるのはシンプルに伝わりやすいデザインで、まさにその気持ちがLIKEなんじゃないかとおもう。

LOVEのはなし、
これもまた、自論でしかないのだけれどこの好きに限っては恋だとか愛だとおもう、よく、言うことだけど、もう少し付き合って読んでもらえたらうれしい。
だってそのキモチは不思議じゃないか、

他と個のはずなのに自分の日常に侵食してくるキモチなんじゃないかと だって、何気なくコンビニで買い物をしてたら あ、このお菓子あの人が好きなんだよなーとかネットで調べ物をしていたときに見つけた事を見つけて あ、この分野のこと知りたがってたよなーとか、この色あの人に似合いそうだな、なんて四六時中頭の端にそのひとの事が何かしら浮かんでは消え無意識に、頭の中の恋を担当してる自分が関連づけて持ち出してきて一人でもやもやしてしまう…

失恋すると世界から色が消えるなんて表現はよく見るけれど、まさにそんな感じなんじゃないかなとおもう恋に出会う前の自分と恋をしてからの自分の世界には絶対的な差があるし、恋してしまってからの日常には相手との関係性は置いておいても、あの人の成分が溶けた日々をいやでも過ごす事になる。

そして、LIKEはLOVEに置き換わることが多々ある感情だと思うけれど逆は中々に難解、自分の中で恋した相手とまたLIKEを抱ける友達に戻るにはお互いの、時には片方の人間力か経験値か自制力?が必要になると思うし私のような未熟者にはまだ経験したことのないことなのだ。


2、自分のはなし

わたしの恋愛体験なんて薄くて語ることもないのだけれど、偏った標本として書いておこうとおもう。

初めて出会ったその人は優しい一つ上の先輩でその低く落ち着いた声と星野源ににていたことから勝手に
大人っぽい人、落ち着いた余裕のある人で、時には茶目っ気のあるヒトなのだと決めつけて幼いわたしは憧れを抱き、後々 好きになった、
でも、落ち着いて考えてみてほしいその場合、その人のことを好きになったのではなくその人のイメージを好みに当てはめてつくってその架空の人物にわたしは、恋をしたのだ。
もちろん、相手にとっては失礼な話で本人とイメージとのギャップに違和感を覚えて段々と上手くいかないくなった。

当たり前なのである

ここでわたしは、おもったのだ自分は自分の理想が好きだった、しいてはそれを考えた自分が好き
そんな気持ちが生み出したLOVE大きくいえば自己愛だったのではないかと、自分は昔にくらべればマシになったけれど 昔から自己肯定感の低い人間なので少し不思議な気持ちになる。

でも、最近はもう少し自分の恋愛趣向を分析できているとおもう。それは、自分の世界をもっている人が好きなのだということ。直接的ではない自己主張をする方法を知っている人に目を奪われやすい、
でも、結局自己肯定感の低い私のきになる相手は、総称してクズと言われる傾向の人がおおい、なんでなのか!少しはらだたしい。
彼らはやはり経験値からくるものなのか中身はからっぽでも外観は色々なものがぎゅっと詰まった余裕のある大人にみえるので、いや、魅せるのがとても上手いので箱入り娘でいい友達に囲まれてきた経験不足のわたしなんてひとたまりもない、すっかり虜になってしまうのだ。 
 なんていいつつ、クズっぽさがある彼は少し見方をかえると子供っぽさ、
よく言う、少年の心を 忘れていない彼はやはり一緒にいて学ぶものというのか日々を退屈させてくれないのでなんだか見ていたくなってしまう。
何かを学べるきがしてしまう、好奇心のようなもの。多分そんなことを言っているからわたしは自分を大切にしてくれる結婚するならこんな人がいいのかもしれないと思う優しい親戚のお兄さんみたいな人から向けられた好意に拒否反応が起こってしまうんだろう。
つまりは自分もまだまだ子供だと言うことなのかもしれない。


3、なりたい姿

多分腹を立てるなら経験値不足の自分のこれまでとこの警戒心のなさなんだろう。
自分の持ってないチカラや分野のことを調べて学ぶより先に、その分野の人に話しかけたりしていたこともある。
しかし、世の中あまくない、わざわざ自分の習得したチカラを見返りもなく先生になって根気よく教えてくれる人など存在しないのだ、この事を学ぶ良い経験だったと思うようにしているけれど、見分けるチカラが無いうちは下手に媚び諂ったり絡むのは違うのだときづいた。
もちろん、そんなこといいつつ話しかけてくれる縁は大切にしていきたいとかんがえているのだけれど。

自分の恋愛趣向を分析したりなんだりしているうちに、わたし自身もまだまだ、中身のない一応好きな物や事柄を主張することは知っている子供なのだなぁと気づいてしまいなんだか少し恥ずかしくなった

自分もまた、話し方や容姿から大人っぽく見られることが多いのだけど 血液型 特徴 でたまに検索してしまったりする笑 そのくらいにヒト慣れできていない、中身が伴ってないと意味ないじゃないかと、もちろんそれがいいと言ってくれる人は大切にしたいし、そんな人がいるなら是非付き合ってほしいものだ。笑

ま、冗談もほどほどに、

いまの自分には、まだまだ多趣味で好奇心旺盛な子供という肩書きしかはまらない。
もちろん着眼点や考え方としての子供っぽさはそのまま大切に保管していきたいけれど、
人間の内容としての大人っぽいところ自分の世界をもっと詰めて磨いて光らせて魅力的な大人にないたいものだ。
けど、そんなのは一中一夜で手に入るものじゃない
職人さんの技術と似てると思う、対峙するのはいつだって生身のヒトでそこにはマニュアルなんて存在しないと思う、どこかの論文でヒトは何種類かに区分できると聞いたことがあるけれど、それもそのヒトの性質の話しであって、同じ性質のヒトが同じ質問に同じ答えを一文字も間違えずに答えるということでは、ないはず、
現時点での自分の目標はもっと中身のある大人になることで、それでいい、
もっと自分の中にジブンでヒト図鑑を作る心持ちでこの人の波をもう少し泳いでみたいとおもう。
少し疲れたらまた、陸にあがって立ち止まって考えて沢山悩んだら良い…少なくともわたしは、そう思っている。

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