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自己評価と他者評価に振り回されていた頃の話
世界中の誰もが元々特別なオンリー1であることが叫ばれて久しい世の中な訳ですが、私も思春期を経て、その後だいぶ長い間“他者評価”というものに振り回されて生きてきたように思います。
え、他人からどう見られてるかって気にならない?
特に同人活動なんてしていると、自分の本が相手にどういう影響を与えられたのか、もう気になって気になって夜も眠れなくなりませんか???
え、私だけ????
「全然全く気にならない、自分は自分」って方はこの記事を読んでいただく必要はまったくないんですけど、私は最近ようやく「人からどう見られているかまったく気にならない」って状態になれたので、ちょっとお話しておきたいなと思いました。
最近よく思うんですけど、自分のことが自分で分からないと、他人の評価にものすごく振り回されてしまうんですよね。
私はずっと誰かと比べて何かができるとかできないとか、そんな基準で生きてきて、できないことだらけで物凄く苦しんできたように思います。
相対評価って、上を見たらキリがないし、下を見てもキリがない。
どうやって私はそんな評価に振り回されなくなったのかと言うと、最終的に“感情”を大切にすることにしました。
どんなことで怒るのか
何に喜びが湧くのか
いつ涙が流れるのか
どんなことでワクワクするのか
感情って感じる物なので、他の誰にも否定することはできないじゃないですか。
私は結構、「好きな人に好きを否定された生きていけない」と思っていたメンタル過敏なのですが、最近は「好きなもんは好きなんだから、しょうがない」と思うようになりましたね。
同時に「相手が好きじゃないもんは好きじゃないんだから、しょうがない」と思えるようになったと思います。
前までは、相手が好きじゃないことが、きっと許せなかったんだと思います。
それなのに自分の好きは肯定しろなんて、傲慢も良いところだなと思います。
感情というのは湧いてしまうものなのですが、湧く理由はそれぞれの経験値によります。
死を理解できない子供が死別に何の感情も湧かないように、飽食の国の人間が、食べ物を得ることに有り難みを感じられないように。
何万、何億と積み重ねられた記憶によって湧き出てくるものです。
だから感情が湧いた時、そのものが“私”という人間なんだなと思うようになりました。
以前は感情は非効率的で、人間関係に摩擦を生じさせる不要な物だと思っていたのですが、湧いた感情を他者にも押し付けようとするから厄介なことになるだけで、湧いた感情は「自分の観察用」として脇に抱えておくと、別にトラブルにもならずに人間関係も円滑ですね。
むしろ「感情が湧いていることに気が付いてすらいない時」の方が、八つ当たりしたり、否定したり、嫌味を言ったり、ひどい人間だったんじゃないかなと思います。
今も出来た人間とは決して言えないのですが。
感情は何かの刺激があって初めて湧くものですから、自己分析では中々分かりづらいんじゃないかと思うんですよ。
何かをインプットし、何かを体験し、人と関わり、分かち合ったり、ぶつかったり、そんな中で芽生えていくものですよね。
私はそうやって湧くマイナスの感情を、他人や環境のせいにして、“自分の過去の体験が原因で湧き上がっているもの”なんて考えたこともなかったです。
物理的に不可能な要求を通そうとするようなクレームおじさんとか観察してるとめっちゃ面白いです。
多分怒鳴り散らせば周りが対応してくれる、めちゃくちゃ甘やかされた環境で生きてきたおじさんなんだなって思います。
話が遠回りしてしまったのですが、要するに“自分らしさ”ってのは、化学反応を起こす全ての体験であり、今までの全てなんですよね。
そこに良いとか悪いとか評価を付ける必要はなくて、それが自分らしさなら、自分が大切にしたいものを、ただ大切にすれば良いのかなと今では思います。
創作活動も、そんな風に「自分は何に心を動かされるのか」ということを極限まで掘り下げていけば良いと思うんですよ。それが“表現活動”であり、“アート”です。
あのキャラとあのキャラをくっつけて恋愛事情を妄想することに、たまらなく感情が揺さぶられるならそれで良いじゃないですか。
くるぶしが好き? ポニーテールのうなじが好き?
誰にも共感してもらえない性癖だって、自分の感情が揺さぶられてたまらないなら、それで良いじゃないですか。
絵でも文章でも音楽でも、身体表現でも何でも、自分がワクワクすることやったら良いんだなと今なら分かります。
そこにクオリティとかは関係ないです。
いかに自分の感情が表現しきれているかです。
そうやって他の誰も真似できない“オンリー1”をブランディング化していった時、必ず「私もそれに魂が揺さぶられます」ってファンが現れます。
「そんなのが好きなの」なんて他人の感情を否定するような人間は、鼻で笑ってやればいいんですよ。
表現活動をする全ての人に、誰かの顔色を伺った好きでもない物ではなくて、魂と魂が惹かれ合うような創作をしていってほしいなと願います。
魂が震えるような感情に出会えるのが、創作の醍醐味であり、存在意義であると思うので。
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