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僕のエンジンがかかった瞬間

僕のエンジンがかかった瞬間
忘れもしない。それは、何気なくテレビを見ていた時。止まっていた時計の針が突然動き出し、動く事をすっかり忘れてしまっていたエンジンもかかった。あまりにもいきなりだから、自分のエンジンなのに僕は驚いた。

食事をとりながらテレビの電源を入れた。とくに見たい番組がある訳ではない僕は、次々にチャンネルを変えていった。そしたら、医療現場のドキュメンタリー番組が画面に映し出された。見たい訳でないが、熱々の麺を口に入れる為にそこでリモコンの操作を中断した。
 麺をすする僕の耳にある病院の現状が入ってくる。どうやら小児病院が舞台らしい。「子供が通う病院か、大変だろうな」と思いながらも更に麺を口に運び、スープを飲む。うまい。
 そろそろチャンネルを変更しようと、顔を上げてテレビ画面を見た。
 診察室の前の椅子に座る親子がいた。番組は親子の表情を映している。
 子供は小学生の低学年だろうか。これから診察を受け、注射も受けるけど「頑張る!」と話すその子の言葉が紹介された。

 ここで僕の胸が熱くなった。

 診察室に入る2人。優しい看護師と、あたたかい言葉を少年にかける中年の医師。その医師の胸ポケットには子供に人気なキャラクターが収まり、部屋の壁にもそのキャラクターがいた。問診と触診の後、注射器を取り出す医師。少年の表情が曇ると、見ている僕の中にある時計の針が動き出し、エンジンも自ら激しく鼓動を刻んだ。

 僕はすっかり忘れていた昔の自分の夢を思い出したのだ。僕も子供の頃、闘病していた。ある先天性の病気を持って生まれ、手術を受け、0才から12才まで通院し、この少年と同じように何度も検査を経験していた。その頃、検診前や検診中に僕も病院の壁に飾ってあった絵に勇気をもらっていた。そして、「もっと色んな絵や写真が病院にあったら嬉しいし、頑張れるから、誰か展示してくれないかな?」と僕は夢見ていた。

 もちろん、アニメのキャラクターの絵も嬉しいけど、他のアニメの絵も貼ってほしいし、色んな写真も見たいと思っていた。そう夢見ていたものの、子供の自分はその夢を口に出す事はなく、12年間の通院生活を終えた。それから日々の生活に精一杯になっているうちに、あの頃の夢をいつしか忘れてしまい、「誰かやってくれているだろう」と良いように結論づけてその夢を心の奥に閉まって鍵をかけていた。

 だけど、どうやらテレビを見る限り、色んな絵や写真が飾られているようには感じられない。たまたまそこの病院だけなのかもわからないが、僕のあの頃の夢はもしかしたらまだ20年以上経った今も実現していないのかもしれない。どうなのだろう?僕は気になった。この番組を見るまですっかり忘れてしまっていたというのに。だけど、もう絶対に忘れたくなかった。実現していたらいいけど、もし実現していないなら、あの頃願った「誰かしてくれないかな」の「誰か」は今の僕だと思った。今も日本中の病院で闘病している人は沢山いる。自分もそうだったから、その気持ちがわかる。僕は動き出した。

僕のエンジンのかかった瞬間です。
実際に、それから病院で海の写真を展示して癒しの空間を作る「ホスピタルアート」活動を現在しています。

大阪梅田でダイビングスクールをしています。 

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