あの日の僕(第9話)━ベンチ

あの日の僕(第9話)━ベンチ

僕はお兄ちゃんが少年野球を始めた真似をして、隣の地区にある少年野球チームに入った。土曜と日曜日は基本的に野球をした。

通っていた小学校とは違う友達が初めて出来た。土曜に練習をして、日曜日に試合が多かった。わりと初期に加入したから最初はレギュラーで試合に出場していたけど、高学年になるとベンチが定位置になった。たまに出ても代打くらい。守備はあまりつかなかった気がする。

何故かというと、僕はフライがちっとも捕れなかった。ボールが空に上がると、僕はその球が一体どこにあるか全然わからなかった。みんなどうしてそんなにグローブで捕れるのだろう?と不思議でならなかった。キャッチボールは大丈夫だけど、フライとなるとからっきしになってしまう。そんな子をそりゃあ試合には使えないよね、と今ならわかるけど、当日の僕はつまらなかった。記憶にある限りの、初めての大きな挫折かもしれない。それはしかも一回、一日ではない。終わりまでずっと続いた。

途中でやめたくなって練習に行かなくなった時もあるけど、チームメイト達が家まで来て止められた。少しは嬉しかったものの、僕なんていなくても何も問題ないのに、どうしてやめたらダメなのだろうと思っていた。復帰しても定位置は変わらなかった。ただただ自分とみんなとの明らかな違いを見ているしかなかった。自分の努力不足は認めず、ただ見ていた。そう、努力不足。今ならそうわかるが、けどその時は今じゃないから、落ち込み、自分の能力と運動神経のなさを呪うしかしなかった。

僕は土曜と日曜日しか野球をしなかった。平日に学校終わりに野球の道具を持つという発想がなかった。そりゃあ、負けるよね。レギュラーメンバーは能力で劣る自分より努力も何倍もずっとしていたのだから。それを飛び越えて僕は現状をただただ嘆くだけ。実現不可能なもしもは普段考えないタイプの僕ですら、「今この頭のまま過去に戻ったら」なんて考える位、後悔している時間だ。努力しても覆られるかはわからないが、努力出来る環境なら努力をしたいと、どうしてこの頃はわからなかったのだろう。しかしいくらこう思ってもこの過去は変えられない。だから僕はこの後悔を意味として作り変え、必要な過去と肯定してしまう事にしている。

この経験があるからこそ、努力の必要性と可能性に気づけた。もうこんな気持ちになりたくなんかないと思えるのは、この時間のおかげ。ずっと何度も感じていたからこそ、ちょっとやそっとでは努力を放棄する人間に戻れなくなっている。

嘆くのにはまだ早い。

あきらめるにはまだ早い。自分とまわりを比べるのにもまだまだ早い。

今色々チャレンジしていて、なかなかあきらめないのも、ベンチからこの光景を見ていた子供の頃の自分のおかげだ。あれから、けっこう頑張ってきた。けど、この頃の僕も自分なりに頑張っていた事を僕は誰よりも知っている。まわりからしたら全く頑張っていないように映っていたかもしれない。だけど、自分はわかっている。心の中の葛藤、絶望、ただ見ていただけではない。頑張りたいけど、どう頑張ったらいいのかわからなかった事を知っている。大人になってそれなりに努力をしたり、挑戦をしてきたけど、努力とか挑戦を凄いとあまり思わないのもこの経験が関係している。大切な人達を大切にしていたり、おもいやりのある人も凄いと思う。人を僕は上とか下とかそんなに決めたくない。努力している人は美しくて好きだけどね。ただ強制はしたくない。したかったらするでいい。過去は作れないけど未来は作れる。今がそう。僕らはこの瞬間瞬間も、未来を作っている。明るい未来を作りたい。あのベンチから今の僕を見て、僕は何を思っているだろうか?少しはワクワクしているかな?まだまだ人生は続く。終わりはあるが、まだ見えない。やれるだけやってみるよ。頑張るね。

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