あの日の僕(第13話)━エアー

あの日の僕(第13話)━エアー

はっきりと気づいたのはいつかはわからないけど、小学生の間に、自分はみんなと違っている事を自覚するようになった。
具体的にそれが何か?はわからなかったけど、違っているのは確か。とにかく、学校生活が違和感だらけだった。家にいる時はストレスを感じなかったのに、学校にいる間はずっと心がしんどかった。

しんどかった事だらけ。
そのうちの1つをまず話すとしたら、それは『なんで?』ばかりの世界だったからというもの。不思議な事が多すぎた。
例えば、『なんで授業中ずっと座っていないといけないの?』『なんで先生という人はえらそうなの?』『なんで授業中ずっと話を聞いておかないといけないの?』『なんで授業中に絵を描いたり好きな事をしていたら怒られるの?』

挙げればきりがない。

授業内容も、違和感だらけ。そして、自分は周りの人により不器用で、苦手な事だらけな事も知った。認めたくないけど、認めるしかない位に僕はあらゆる能力値が低かった。器用さなんて皆無。ゲームのロマンシングサガに僕みたいなキャラクターがいたとしたら、きっとこの数値はゼロだと思う。

授業科目で、唯一まだ好きなのは『国語』と『社会』のみ。あとの科目は全て苦手だった。算数と理科は興味がちっとも持てず、じっとその話を聞き続けるのが苦行にしか感じられなかった。副教科なんて更にしんどい。家庭科は結局最後までミシンの使い方がわからなかったし、音楽の発表会では毎回『エアリコーダー』でやり通した。エアギターならぬ、エアリコーダー。やり方は簡単。一生懸命、吹くふりをするだけ。しかし、これで困るのは一人ずつ行うテストの時。いつもこの時に出来ていない事がバレてしまうが、発表会や全体練習時はエアリコーダーを貫いた。体育の時間はとくに憂鬱だった。苦手なスポーツを思い出してみる。鉄棒、マット運動、跳び箱、ドッヂボール、マラソン、組体操、プール。どれも全体の中で劣っていた。こうやって思い出してみると、そりゃあ苦手な事だらけだから学校好きにはならないよね、と誰でもわかるだろう。あと苦手なのは工作だ。絵は描くのは好きなので、絵の授業は楽しかった。もしかしたら、唯一楽しい授業だったのかもしれない。しかし、ものづくりとなると手が止まった。いつもは気にしないように目をそらしているのに、自分の不器用さを強制的に直視させられるこの時間がしんどかった。

そんな僕が今、病院で展示する写真を加工している。ずっと工作を避けて生きてきたのに、まさか大人になってから対峙する日が来るとは。

僕は大人になってから、苦手な事=チャレンジしない、とはしていない。苦手な事こそチャレンジすれば成長出来るのでは?と思っているし、やってみたら食わず嫌いの様に、実は好きだというパターンもあるかもしれない。

そうやって生きていると、こうやって、苦手な事をする必要がある場面によくなる。やってみると意外に今はもう苦手じゃないかも?と思う時もある中、今回はどうかという

『やっぱり苦手』だ。 


うん、そりゃあそうだ。

苦手なものも苦手でなくなる場合もあるけど、こうやって苦手なままもそりゃああるよ。ない方がおかしい。年を重ねたら何でも出来るとは限らない。時は何でもは解決してくれない。まあ、仕方ない。驚きもしないし、落ち込みもしない。自分がいかに不器用かなんてとっくに知っているし、『まあ、いいか』と言ってこれまでなんとか生きてきた。自分の劣った能力や特徴を嘆くだけは嫌だ。嘆いた所で得意になる訳でもない。たった一回きりの人生だ。これまでも僕はないものを見つめたり嘆くより、今あるものを見て、今ある中で乗り越えてきた。昨日今日にいきなり不器用になったのではないから大丈夫。工作やリコーダーや、色んな事をやる前から『どうせ無理』とあきらめていた僕はもうここにはいない。病院での写真展示頑張ります。次は国立の三重大学病院で展示します。

note のマガジンで昔の日記を書いています。ゴールは決めているけど、しばらく続きます。1話完結なのでどこから読んでも🆗です。
https://note.com/maki0806/m/m5135a87662ae

4月中、店をコロナ対策で臨時休業し、5月再開を考えています。今月の店の運営資金にあてる為、BASE で海チケットや自叙伝、写真展示への支援権を販売しています。

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