コドクのふれあい
私は本をkindleで買うことが大半だ。あまりモノを増やしたくない。
が、先日どうしてもほしかった本は、2019年出版だけどkindleが無かった。むーん。しかたない。紙の本を買うか。
読めればいい、と古本をAmazonでポチ。
届いた古本。美品。複数人へのインタビューをまとめたものだ。すぐ、まえがきも見ずに、特に気になっていたページを開いた。
「孤独」に関する本。
一部を読み終えて、ふぅと息をつく。今さらながらに表紙からひとつめくると。
サインがあった。
「○○さんへ コドクはギフト ××× 2019.**.**」
古本は今までも買ったことはあったが、サイン本に巡り合ったのは、はじめてだ。
○○はおそらくこの本の前の持ち主。
×××は著者の名前。
日付と著者で検索してみると。出版記念の対談が、銀座の蔦屋書店で50名限定で開催されていたのを見つけた。
50名。そのなかにこの「○○さん」がいたのだ。
○○さんは、50名の枠にわざわざ応募して、著者の対談まで聞きに行って、サインも貰って、それでもこの本を手放した。
結果「どうしてもほしかった私」の手元に今ある。
2019年の銀座から、2021年の愛知県へ。
なぜこの本がほしかったか。私が分岐に立っているからだ。
働き方を考えなおす、選びなおす、大きな分岐。転職活動。
自分の人生を「選択」することと、「孤独」に、強い関わり合いを感じ、手に取った。
新卒で入社して12年。
育休産休経て、3部署目で、35歳目前。
2019年夏、このサインが書かれたころは、私は育休から復帰してしばらくたったころ。
新しい仕事に四苦八苦していたような気がする。
正直あまりよく思い出せない。遠い昔のようだ。
復帰1年目はワンオペがデフォルトで、帰宅後こどもにアンパンマンを見せている間、台所で夕飯の支度をしつつ、ひとりしゃがみ込み、よくぼうっとしていた。
今思えば、そうやって遠い目をしていた私は、たくさんあるコドクの解釈のひとつに足を突っ込んでいたかもしれない。
コドクはギフト、というのは、巻末でほんの少しだけ触れられる著者の解釈だ。
○○さんは、コドクはギフトとおもえただろうか?
私は。
正直まだ考えがまとまりきらないけれど、ギフトという考え方には、吸い寄せられる。惹かれる。
大それた実績も他者から賞賛される経歴もないけれど。私と寸分違わぬ人間がこの世界にもうひとりいるわけでもなく。
みな、あなたはあなたひとりだけ。生まれてから死ぬあで、ひとつの体にひとつの魂。ならば、みなコドクなんだろう。体みたいに、コドクも形を常に変えていく。
たぶん孤独は消すものではなく、切なさ寂しさ痛み悲しみを伴いながら、ずっとあり続ける。
でもそれぞれのコドクが独立しながらも、触れあう、響きあう、共振することはある。私はそういう瞬間が好きだ、きっと。
一度きりの人生、2021年違う方向へ踏み出してみたいという、この気持ち。この本を読めてよかった。
進んでいこう。壁はあるだろうけど、当たるだけ当たってみて、砕けよう。
しっかり砕けきれば、次へ行ける。
あたらしいコドクが、待ってる。
※サイン本が古本に出されてると万が一著者の方が知ったら、かなしまれるかもしれない…という私の想いの元、書籍名・著者名を伏せています。
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