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003 ふと、「ひとりになる」という事をあらためて思い返してみた。

はじめに

この記事を書き始める丁度1時間前、私は最寄り駅前で電車を降りた所だった。
それからロードバイクに乗って家までのんびり帰るのだけれど、どうも帰りたくなくて、少し遠回りしてみる事にした。

ロードバイクに乗って数分経つと、いい感じに色々ぼんやりと思考が浮かんでくるのだが、突然ハッキリと

「ひとりだとつまらないと思っていたが、何でだ?」

という疑問が浮かんできた。
私は黙々となんでなのかいまの状況を整理してみたのだが、ある仮説が生まれた。

ひとりになった事がない

そういえばない。生まれてからずっと、"だれかの目"を気にしていたので"ひとりになる"なんて事は無い。

それどころか今ではスマホがあれば他人にすぐメッセージを送る事ができる。
誰もが他人を一人にする事はないし、他人からメッセージが全く来ないという事を気にして一人ではいられなくなる。

本当にひとりになった事がないから"ひとりっぽいかんじ"すら未知なのかも。

ひとりになった気がする、その未知の状況で、なにをしたらいいかわからなくて、スマホをポチれば他人の様子が見れて未知から解放される。
しかし、ものづくりをするのにそればっかりではあまりよろしくないのかもしれない。

未知から毎回少し時間が進んだだけの今までと同じ世界に戻る事はできるが、ものづくりは未知の中に手を突っ込んで解明するような行為だ。
時には未知から解放されずに少し揉まれて楽しんでも良いのかもしれない。

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