力不足はいくらでも痛感するべき

日記が滞っていますが一つだけ。

少し前、単位は取得できたけど成績の悪かった科目がありました。
すごくイライラしたのを覚えています。気難しい先生だとも思いました。
自分なりに考えました。

原因は大きく分けて二つあります。

一つは先生側。別に嫌いなわけではありませんが。
まずこの先生は、トップの成績すら80点台、つまり上から二つ目の評価にあたります。(トップは点数関係なく一番上の成績にするそうですが)
つまり、気難しいかは別として、評価が甘い先生ではないということです。

もう一つは当然自分です。
コロナを理由に参考文献が少なかった。
書いていて自覚していたが、内容は繰り返しばかりで薄い。
原因はやはり調査不足。

言い訳するとするならば興味のなさでしょうか。用語解説と、一つ事例を挙げてそれを説明する、などが主なものでした。用語解説にもかなりの学説、定説を調べなければ高評価はいただけないようでしたし、私が読んだたった二冊の本ではそれを補完できる内容は(少なくとも私が読んだ限りでは)ありませんでした。

他の学校の先生でした。私が今まで提出してきた(ゼミなどは別です)期末の課題としてのレポートとは、求められたレベルが違っていたのです。基本的に授業を聞き、その内容を理解し、それをもとに考えたことを論理的に述べていれば良い成績を得られました。それは特に難しいことではありません。つまり、80パーセントの力で高評価を取れていたのが、100出さないとそれを得られない、という感じです。
もっと言い訳をします。このレベルにしろと言われればできない事はありません。簡単に言うと、なめていました。この程度で良いだろうと。ただ思うのは、期末レポートで大量の文献調査をしたものもありました。だからつまり私の興味や熱が足りませんでした。とったからには全力にするべきだったのに。

もう大学生活は終わりに近づいていますが、求められる質を誤ってはいけない事。自分の能力をおごらない事。すごいと感じるような人は小さなレポートでも「ああこれは高評価だ」と納得できるほどの美しく論理的で多くの同年代が感心するようなものを作り出す事。イライラで終わるのではなく自分と向き合い、自分の非をきちんと認める事(これが一番苦手です)。これを改めて学んだ気がします。

PS
普通に授業を受けていれば取れる、と言われて、真面目に聞いていたから大丈夫だろうとノー勉で行ったら見事に撃沈した授業があったことも思い出しました。2年生での授業です。普通に授業を受けていれば=普通に授業を受けてその内容を正しく理解し、用語の意味を自分で説明できるほどに理解していたら、でした。
求められるものを相手の発言から正しく導き出すのは難しいですが、一つ言える事は「手を抜くべきではない」ということです。ある条件を求めるような発言から推測される最も質の良いものを作り出すべきだと感じました。

これくらいでいいだろう、という甘えは良くありませんね。

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