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#34 自分が死ぬ時

私が生きていて物事にふける中で、
かなり多くの時間を使っている自分の死。

私はなんとなく、「自分の死=怖い」という思考から抜け出してしまった。みんな来るものだし、終わりがあると思うと今を必死で生きる理由になるから。

いつか死ぬ、という漠然とした感じも、一層私をはやし立てる。自然と生き急ぐ。その感じもまた心地いい。

それに、いつ死ぬか分からないとなると、私が目を閉じるその瞬間までずっと「はー!やり切った!もー全然いいよお疲れ私!」と思っていたいから、後悔したくないし、やりたいと思ったことはその瞬間にやりたい。

いろんなことを経験して、「確かにこのゲームもう全クリしたしな…オッケー、新しい子にこのゲームもうあげるか、シャットダウンしよっ」って前向きに、その瞬間は怖いかもしれないけれど幸せに終わりたい。

だから私は思いついたままに行動する。
「行動力すごっ」と言われることがよくある。

「もう無理どんだけ働けばいいの?あれ、なんか大阪行きたいかも」って、一度も足を踏み入れたことのなかった大阪に行きたくなって、大阪行きの夜行バスを、しかもその次の土日の分を予約して向かったこともある、、

死ぬ時。

友達と遊んだ時、「あーなんかマックたべてえなーでも太るしなーまいっか!」って言ってた友達に、「いいの?明日死んだらあんた死ぬ時にマックよぎるよ、友達と家族のこと浮かんだ次にふとマクドよぎるよ」って言った、

「死ぬ時まで俺マックのこと思い出すのかよ!」って言われたけど、なんとなく、死ぬ時ってそうだと思う。
生きてるうちに気づけていなかった、感謝してなかったものの幸せにぼんやり思いを馳せるのだと思う。

感謝も何かへの意欲も、永遠じゃない。
命だってそう。
ずーっと続くものじゃない。

ずーっと続くわけじゃないのに、なんとなく感謝してなかったことや当たり前になっていることに気づいて、もし明日あなたが目を瞑ることになった時に、「あーいい人生だった!ビバ!アディオス!」って後悔なく去れるように…

今できることを今、その瞬間に全力でやることしか私たちに出来ることはきっと無い、多分

#創作大賞2024
#エッセイ部門

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