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教育に焦点を―子どもの心の中身を見る

2023/7/13(木):教育に焦点を⑩
 木曜日。
 教育について、少し考えていきましょう。

 今日も中学校の国語教育に尽力した大村はま先生の教えに学んでいきたいと思います。
 一緒に読んで、考えてもらえると嬉しいです。

 


子どもの心の中身を見る

 授業を考えるうえで、きっと授業の内容について考えるということは教師にとって当たり前であると言えるだろう。
 それは「いかに分かりやすく伝えるか」「分かりやすい板書は?」といったものが中心になっているのではないだろうか?
 加えて子どもの理解度や発言の内容に着目はしていても、大村が配慮すべきだと訴えているのは、もう少し深い部分への着目と配慮である。
 以下、大村の残してくれた文章を見て考えていきたい。

話し合いの種を育てる

話し合う内容をしっかり持たせることにういて、本気になって努力するということが、ほとんどできていないように思えます。子どもひとりひとりが別々なユニークな考えを持たないと、発言する元気は出ません。みんなの知っていること、だれかの言ったことを一生懸命言うなんて、そんなことは潔しとしません。(中略)
 みんながユニークな考えをひとつは持っていなければいけないとしますと、クラスが三十七人として、私に四十とおりくらいの見方、考え方が思い浮かばないと、その題目で、このクラスに今回話し合いをさせる資格が私にはないことになります。
(中略)
 自分だけが考えていることがあれば、みんなに聞いて欲しくて、言いたくてたまらなくなります。子どもは本来、言いたい言いたいと思っています。ですから、そこで話し合いを始めれば、「大きな声で」などと言わなくても、大丈夫です。自然と元気よく話します。

「日本の教師に伝えたいこと」:大村はま P102~

 
 まず初めに、上記の大村のことば「本気になって努力するということが、ほとんどできていないように思えます。」というのは、誰のことを指して言っているのだろうか。「生徒に努力をさせられていない」という教師としての素養の問題だろうか?
 私は、他の大村の発信し続けている考えや、後半の教えから考察するに、
「努力できていない」のは教師も同じで、同様に努力が必要だと大村は考えているのではないかと思う。
 「子どもの言語感覚を育てる」「自分の思いを発表し、友達の発表も大切に聞く姿を育てる」という教育目標を立てる時、教師はどのような対応をしているだろうか。
 あまりにも安易に「もう少し言葉を考えてみて」「はい、発表の時には静かに聞きましょう」という風な直接的な支持をして、教育した気になってはいないだろうか?
 上記の指導(もどき)では、あくまでも「先生が言うからこうした」というような受動的なものであり、決して能動的なものではない。
 本来プロの教育というのは子どもたちに強いるのではなく、つい「してしまう」「思わずそうなってしまった」という姿になるように、子どもたちに分からないように導くものなのではないだろうか。
 そのために必要だとする大村の教師としての努力は、凛として厳しいモノである。
 ただ、その厳しさを自ら課して伸びたもの同士だから懸命に伸びている子どもと分かり合えるのである。
 子どもの育ちの為の有能なプロデューサーとしての教師になれるよう、必死に伸びる大人でありたいものである。

 では次に、大村の「子どもの心を自由に表現できるための工夫」について深く学んでいこう。

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