許せない過去を認めるってむずかしい

職場にベトナム人男子がいる。
32歳くらいで、とにかく昭和初期からタイムスリップしてきたか?と思うくらい、今どき珍しいくらいの保守的で頑固な考えの男子だ。
そのマインドは、ベトナムという社会主義国出身であること、また保守的な北部の田舎育ちというのも大いに人格形成に影響していると思う。

その代わり、義理人情に厚くて、男として頼られると頑張れるというまた性格を持ち合わせている。
ただ昭和の頑固親父マインドそのものなので、時々デリカシーに欠ける言動をしたり、時代にそぐわないことを平気で言ってしまったりする。
ピンクは女の子の色、とか、ダンスは女のするものだ、とか・・。

彼は話しやすいので仕事中に話すこともよくあるのだけれど、やはりその配慮のない言葉や、日本語力の問題もあり、イライラしてしまうこともよくある。
彼は少しでもベトナムをからかっただけでも、ベトナムの悪口を言っていると捉えてしまうところがあり、それを正すのに厄介だったり。

私は彼がベトナム人ということもあって、無意識に自分が日本語学校で働いていたこと、ベトナム人を教えていたこと、ほとんどの学生が2年間学校にいて「おはよう」「トイレ」「先生」しか話せないことを話した。
彼はいつも気まずそうにそれを聞いていた(ように思う。)

Hさん(その男子)のように優秀な人もいるし、一生懸命頑張っている人もいるんだよ、でも・・。
前置きをしながら、出稼ぎベトナム留学生がいかに無目的で来日しているかを話す。

彼からしてみたら、愛する祖国の、いくら知らない人だとしても、同じ国の人間を悪く言われることはいたたまれないし、気分が良くなかったのだと思う。

彼は苦笑いをしながらこう言った。
「Micaelaちゃんの気持ちもわかります。でも世の中もっといいこともありますから・・」

最初それを言われた時、彼の文脈が読み取れなかった。
世の中いいこともある、ってまるで私がいつまでも日本語学校のことを恨みがましくずっと思っているってことみたいじゃないか!
それにカッとなり反論した。
でもそれは考えてみたら、もうその話をしないで、という意味だったんじゃないかと思う。

「わかった!もうその話はHさんにはしないよ!」
半ば啖呵を切ったように、その場を後にして仕事に戻ったのだが、冷静になればなるほど、彼にその話をするべきじゃなかったなという自責の念に駆られた。
ベトナムにも住んだし、良いベトナム人もたくさんいることも知っている。
知っていながら・・。

やっぱり私の最初に接したベトナム人は、あの日本語学校の、死んだ目をして国に帰りたい、を繰り返していた、借金まみれの彼らだった。
やっぱり第一印象が強烈だった。
悲しくてやるせなくて、どうしたらこの人たちが勉強してくれるのか。
いつまでもそれが拭い切れなかった。

どんなめちゃくちゃな学生も受け入れ、横柄で無茶振りが日常だったおばあちゃん教務主任。できない学生自慢大会の担任の先生たち、新人もをただのコマとしかみていない、困っていても見て見ぬふりの主任たち・・もう2度と日本語には関わりたくないと思って、学校をやめた。

ずっと何年も経って、もう過ぎたことだと思っていた。
でも実は、まだずっとそのことを引きずっているし、許せていない。ショックが治っていない。
そのことに気づいて、彼に申し訳ない気持ちになった。
ベトナム人の彼を通して、自分の解決できていない問題を投影して、間接的に彼にぶつけていた。

彼には、というか今後新しくベトナム人に会っても、私の日本語学校の話は今後しない方がいい。お互いに良くない。

消したい過去、許せないことを認めるって難しい。


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