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アラフォーになっても友情ってなんだろう、と考えさせられた出来事。

とある温泉街に来て2週間。
蒸し暑さ皆無。部屋からは川のせせらぎや鳥のさえずりが聞こえ、目の前には大自然が広がっている。精神的にとてもいい環境だ。

しかしこんな大自然の中でも人間というものは争い、排除、揉め事が絶えない。

今回の現場は、昨年沖縄の現場で出会った友人に誘われ来ることを決めた。彼女をAさんとしよう。Aさんはリゾートバイトで移住しながらの生活を20年程続けている。もうリゾバのプロ、掃除のプロである。プロの旅人とでも言えるのだろうか。

彼女の性格は、正直難しい。
新しい現場で、最初に自ら周りに壁を作ろうとする。
”自分は職場の人とどこも出かけないし、連絡先も交換しない”と最初に宣言する。
彼女の過去からの処世術なのかもしれない。余計な人と連絡先を交換したくない気持ちはわかる。
まあ、変わってる人だと思っていたが、そこまで気にも留めなかった。

彼女とはプロレス、という共通点で仲良くなった。
ただ、プロレス以外の話を殆どしたことがないし、お互い深い部分は触れない。
ある時、同期のBさんから、Aが私が来る前に、私がどんな人?という話題になり、あまり良くないことを言ってたと告げられた。
まず、びっくりした。
友達と信じてた人に陰口を言われていたことを告げられるシチュエーションが幸か不幸か、30数年生きてきて初めてだったからだ。


あんまり聞きたくないけど、ここまできたなら気になるので何を話してたのか聞いてみた。
彼女曰く、Aは
「Mikaelaは体力がない、すぐに休みたがる(サボりたがる)から私が監視する」など、言っていたらしい。
B曰く「あんな言い方は友達だと思ってたらしない」くらいだったそうだ。

えー。彼女がそんな風に思っていたなんて。
体力がないのは認めるが、休みたがるは心外だった。思い出す限り身に覚えがない。友達だから気を許して疲れた、とかそういう事を言ったかもしれないがそれを言ってるのかもしれない。いずれにせよ、自分がいないところでこういう類の事を言われていた時点で、Aに対する信頼は私の中でなくなった。

Bは「私はMikaelaさんと別現場で同じだったけど、そんな人じゃないと思うって否定した。人の評価は自分で決めたいのに、なんでそんなことを言うのか聞いてて気分が悪かった。」と言っていた。自分をかばってくれた、とかでなく人の評価を誰かの言葉でなく自分で決めたい、という彼女の判断は正しいと思う。彼女も色々な人間を見てきたんだろう。

Aは何を考えて、みんなの前で私の評価を落とすようなことを言ったんだろう..。一体それを聞いて誰が得をするのか。意図はAにしかわからないが、なんだか力が抜けて、もう真相を知りたいとも思わなかった。

ただ、Aは本当にこんな事を言ったのか、証拠集めのためにその場にいたであろう他のスタッフにもこの事について聞いてみた。
そしたら、やはり同じような言葉が返ってきた。
正直Mikaelaさんのことを"そういう人"と思ってました。でも実際来てみたら全然普通に仕事するしおかしいと思ってました・・。と。
やっぱり彼女が私のことを言ってたいのは本当のことだった。

Aとは直接話したいとも思わなかったから、何か思うことがあるなら直接言って欲しい、あとサボるというのは身に覚えがない、ということだけメッセージで伝えた。

すぐに返事がきた。

サボりたがる!?なんて言ってませんよ!!!!!!
体力はないから気にしてるとは言いましたが。。
疲れてくるとボーッとするかもしれないから、私がハッパかけます的な事は言いました。
ニュアンスが全く違くて、人の受け取り方一つでこんなにも違う解釈になるとは、気をつけます。
気分を害してしまって本当にごめんなさい。

すぐに謝ってきた。
聞いていたのとだいぶニュアンスが違う・・。
気にしてる、は相手を思っての言葉だよね?
この後もメッセージが来たのだが、私が予測した彼女の本意はあらかた当たっていた。
他の人と組むと体力的に疲れてしまうから、私が面倒を見るという定義で私と組んでマイペースに仕事をやりたかったようだ。

そのために私は"1人で仕事ができない困ったひと"として仕立て上げられてしまった。
自己愛、自己防衛が強い人だなと思う。40歳なのにやることがちょっと幼い。

その後も、私はそんな言い方はしてない!受け止める側に悪意がある!という内容が返ってきたのだが、いや、そもそもあなたが発信源でしょう・・。口は災いの元とはまさにこのことだ。

長い弁解と謝罪の返信を読みながら、もうどうでもいいなと思ってきた。
自分のことなのにこんな時でもまるで第三者のことのように、一歩離れた目で見てしまう自分にもどうかと思う。
彼女は自分の(悪意混じりの)発言に、相手がどう受け止めるのかまで想像できてない、と文章を読みながら感じた。
もう私も”そういう人”として受け止めている。

Aは私が傷ついたことに対して謝ってきたがこの謝罪も疑う気持ちも正直ある。弁明なのか、私とまだ友達でいたいからなのか。

別の友達に相談したらその人は言った。
”どんなにいいやつでも自分が不調だと相手を陥れたくなったり、攻撃することで安心したくなるときもある。それもひっくるめて、友達、と思える人に会えたらいいね。”と。

Aはそれ以外も私が言ったことを大袈裟に他人に伝えたり事実とニュアンスを変えて伝えることがあるから本当に困る。
大袈裟に他人に伝えるのは、その人のことを嫉妬してたり良い感情を持ち合わせてないことが多い。
もしかしたら私が副業してるとか、英語を勉強してるとか何かしらが彼女の中で実は気に入らないのかもしれないが、真相はわからないし本人も気づいてなさそう。

草花1つ1つが愛らしく感じる



最後に、こういうシチュエーションにぴったりな歌詞を見つけた。
中島みゆきの「とろ」という曲。

間に合わないって気持ちあなたにはわかるかい
追いつかないって気持ちあなたにはわかるかい
変わりたいと思った、全部変わりたいと思った。
ついにある日ドアの向こうで噂話。私の噂話。
「あの人ってあの人って変わ…ってるよね」
とろ、なんとかならないか。考え考え日が暮れる。
とろ、なんとかならないか。考え考え日が暮れる。

明るい曲調に、思い当たることがありすぎる歌詞の内容。
さすが中島みゆき・・。。

この出来事に関して、自分が見えている友達と、他人が語る私と。そこによどみなんかなくて、ごく当たり前のように信頼していたものが実はそうでもなかったんだな〜ということに今更気づいた。
私はおそらく他の女性よりもその辺の感覚が鈍い。鋭くするのが面倒だからみないように、鈍いふりをしてる、と言った方が正しいのかもしれない。

私はもうAに自分のことを共有したくない、という気持ちが今は強い。
今までの関係も今後も、ちょっとまだ整理できないけど、時間が解決するのかな。




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