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歴史の先生

“歴史は膨大な人の目と手に晒されているフィクションだと私は考えていますが、「あなたがたに手渡されるべき物語はこれだ」と文部科学省が判断したところに従い、私はみなさんの学力を向上させます”みたいな話をしてくれた中学校の歴史の先生って、なんだかほんとに偉かったんだな。

たまに名前でググるけど、一生「私の仕事は生徒の学力向上です」のようなことを言っていてすごい。公立でそんなことやってる人いるんだな。毎回わかりやすく授業をしていたし、教科担任クラスの平均点を10は上げる。

わたしはその先生がいなかったら、「先生という種族は悪い意味でヤバい」(ミニミニ独裁国家をやりたい方or非常に慢心している人がなるもの)という偏見の元で暮らす羽目になっていたと思うので、その人が中学教師をしてくださっていたことについて、ものすごく感謝をしている。

授業が、面白かった。人間はこんなにも、目的達成に対して真剣でいつづけることが可能なのか。という感じだった。人間は創造的に仕事をすることが可能なのだと絶対的に理解できた。

この話は私によるフィクションです。


●授業


とにかく、「勉強は楽しい」「勉強は得」と思わせることに対して、心身を砕き続けながら授業の構造を洗練させ、また、それを破壊することを怖れず、テクニックを磨いていた先生のように思う。先生のやっていた「印象的な取り組み」についていくつか記しておく。基本的に、先生の授業は、「ライブ」だった。

●ライブをする・させる

1年生の授業のガイダンス後、我々は「日本の元号」を記憶させられた。
歴史の授業なのだから、その流れは最も理に適った動きのうちのひとつだろう。

暗記の方法として提示されたのは、「替え歌」だった。

先生が提示する「替え歌」の旋律は「著作権切れ」もしくは「教育現場で提供することにOKが出ている物だった。それは都度説明されていた。先生は場合によって「問い合わせ」をすることを「当然、必要である」と捉えているので、問い合わせの結果として使用許可が出たものもあった気がする。

「この方法を使うと、本当に誰でも、「歌」を歌うことのできる人は誰でも、本当に誰でも、すべての元号を覚えることができるのです。全員、できるのです。歌は、偉大です。全員に「できる」の感覚を持ち帰ってほしいので、これについては「できる」までやっていただきます。「できる」ための助けになることは、いくらでも行います。この次の授業で、必ず1人ずつ歌って頂きます。私の歌は笑ってもいいのですが、1人ずつ発表してもらうときに、発表してくれた人を「音痴」などという理由で笑うことは絶対に許しません。どうしても人前で歌いたくない人は申し出てください。別途対策します。私も歌が得意ではありません。しかし、楽しむことが大事なのです。まずは、私が、歌います。

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