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先祖の因縁、長州の末裔が選んだ贖罪の生き方。

1868年戊辰戦争で我が先祖で有る長州藩は正式に天皇より日本の正規軍と認定され会津は賊軍とされ国家を乱す犯罪者集団と認定された。

300年続いた徳川幕府において会津は国家を代表する正規軍であり、その強さや装備は桁違いだった。それが英国との密約により新式銃を手に入れた薩長は、幕府を降参させ明治新政府軍を樹立。天皇公認の官軍として、これまで正規軍だった会津を中心とする旧幕府軍を国家反逆の賊軍として、正義の名の下に討伐した。

私は山口県教育と言う山口県独自の学問を教わり、その歴史教育の中で、会津は7倍の戦力差があるにも関わらず最後まで降伏せず抵抗し、女子供に至るまで武器を持たせ戦わせ、年端も行かない子供たちが大人の命令に従い自ら腹を斬り自決したと教わった。

後の神風特攻隊にも繋がるような、大人による青年達への洗脳のによる服従行為と同じように感じた。もちろん中には自ら望んで命を捧げる人達も居ただろう。だけど、特攻隊も会津藩も、命令に断れない状況を作り出し、集団同調から従わざるを得ない状況に社会が人々を扇動して居たのだろうと感じた。私は子供の頃から、反骨精神旺盛で教師や大人に従って生きて居たら、ろくな事にならないと感じて居た。本当に注意して大人に騙されないように生きていかないと、殺されると言う危機感を子供の頃から持って居た。


🪬


彼女は長いブロンドの髪の毛をした物事をハッキリ言う女性で、人との接し方に長けた人物だった。彼女と出逢ったのはライブハウスで、彼女からはシーシャの甘い煙と香水の香りが漂っていた。彼女の鋭い目とは裏腹な、親切で優しい気遣いに私はすぐに魅了された。彼女は五黄の寅(九星気学において帝王の定めを持つ者とされる)の産まれらしく、とても正義感に溢れた凛とした女性だった。自分を持っている人で、男尊女卑が根強く残る男社会で自立して生きている強くたくましい女性だった。

当時テレビアニメで新撰組が出てくる番組(銀魂)が流行って居たらしく、彼女は興奮した様子で新撰組に付いて私に尋ねてきた。新撰組は徳川幕府公認の自警団みたいな輩どもで、剣に自信の有るならず者達が、幕府黙認の元でみかじめ料などを庶民から巻き上げ、暴力で秩序を維持してるヤクザやマフィアと同じような連中だと言う認識だった。

でも、それらの事実関係は今でも研究されてる事だし、過去の正確な歴史は分からない。私は当たり障り無い範囲で、「今の警察みたいなもんでしょ?」と話した記憶がある。そんな話の流れで彼女は、自分が会津の女だと告白した。

その告白に私は驚いた。私達の世代に出身地による因縁のようなものは感じないが、良くも悪くも自分の信念に従う真っ直ぐな生き方をする彼女の秘密を知った気がした。

私に無い成分で構築されてる彼女は魅力的で有り、理解出来ない事も多々あった。特に歴史認識は大きく違いがあった。彼女の習った歴史の授業では、薩長は女子供に至るまで虐殺し権謀術数の限りを尽くし天皇を撹乱し日本を支配した悪の権化だと言うイメージだと言うのだ。実際に福島県で一番人口が多く栄えていた会津とは別に福島市を立ち上げ市役所など街の中心を会津から遠ざけたと言う。しかも未だに新幹線も飛行機も止まらず、原発などを押し付けられ虐げられてると言うのだ。

この話を聞いた時に私は、あまりの歴史認識の違いに愕然としたが、実際に各駅停車の新幹線が、山口で育った私が聞いた事がないような山奥の駅に泊まるのに対して、有名な福島に新幹線が停まる駅が一ヶ所も無いのは不自然に感じた。

もしかしたら官僚や、ハイレベルな組織の重役の中に、未だに会津に貧乏くじを引かせると言う阿吽の呼吸のような、虐めにも似た忖度が根強く残ってるのかもしれないと感じた。

私の血筋は宇部では有名な名家だったが、敗戦の責任を取りGHQが提示した存続条件を拒否し解体された。それでも大企業の経営者に名を連ねたり、空港会社の社長と遠い親戚らしいので、なんだかんだで、維新志士同士の形のない仲間意識、一種の利権のようなモノが未だに残っているのかもしれないと感じた。


🪬


私が17歳の時に天皇陛下が山口県に宿泊された事があった。この時に右翼団体が何台ものバスや凱旋車両で山口市内を数日に渡りノロノロと走り回っていた。警察は何の対応も出来ず、右翼が偉そうに凱旋する中で、私は真っ赤なイタリアのバイクに乗り右翼の車両を追い抜かし自分が先頭に立ちエンジンを爆音で吹かせ、彼等に怒鳴りつけた。

てっきり喧嘩になるかと思いきや彼等は私に手を出す事なく道も譲ると言う態度を示した。右翼の話はタクシーの運転手なども知っており、一部の幹部はホテルに泊まってるが、多くの人が公園でキャンプを張り寝泊まりしてると言って迷惑がってた。

右翼達は街宣車のスピーカーから市長を殺せだとか、怒鳴り散らかしながら社会に対する不満を述べていた。彼等の主張が天皇と何が関係してるのかよく分からなかったし、低速で道路を集団で走る迷惑な反社のオッサン達と言う印象しか無かった。

後に知ったのだが、右翼団体のほとんどが東北方面の人達で、山口県に右翼団体は無いと言う。この話を聞いた時に、天皇を旗印に討伐された東北地方の末裔が、その時の恨みを晴らすかのように現代で天皇を掲げ権力を持とうとしてるのだろうか?と感じた。天皇攘夷を掲げ日本を統一した長州に右翼団体は無く、討伐された東北地方に右翼の本拠地がある事に、皮肉めいた因縁を感じた少年期の私だったのだ。


🪬


私は神の声を聞いてから、自分に課せられた使命である『大災祓い』を行う為に、具体的に何をするべきなのか、少しでもヒントが欲しく東京の神社を巡って声を聞いてた。

そんな中で、明治政府によって取り壊され、後に近隣住民の支援で再建した神社や、徳川方を祀る神社にも多く足を運んだ。

明治政府は國を一つに纏める為に、神道は天皇を頂点とした価値観に統一する事を決定して法を整備した。宗教や信仰のレベルで、人々の価値観を天皇絶対主義に改宗し深く植え付けて行ったのだ。その概念に従わない民間信仰の神社仏閣をことごとく潰しっ回った事は安易に想像出来た。

神社に入った私は、先祖の行いをきっと怒っているだろうなと頭を下げると「別に怒ってないよ」と声が聞こえた気がした。咎人として一族の因縁を晴らす為に今世に自分が産まれて来たのだろうか?と考えながらも、それに苦しさは感じなかった。

神にお願いをして生きるほど、辛い境遇に自分が置かれてないのはとても幸せで、有り難い事だと感じる。「神様お願いします」と、神頼みをしながら毎日生きるより、神の願いを叶える為に毎日生きてる方が、ずっと気楽だ。

そう思うと、自分が感じてる一族が犯して来た罪の意識や、こうして贖罪の為に生きる死生観すら、自分で生み出した幻覚や幻聴の中で、自ら望んで生きてるのではないだろうか?とも思えた。

自分の境遇や出身などの生い立ちが重なり合い、その後の色んな経験や人との出会いが私を、無免許神職への生き方へ導いた。それは偶然だとしたら、あまりに数奇で奇妙な出来事の連続だったし、私は確かに神の手で何度も救われて来た。それは、有る時は偶然の奇跡であり、ある時は神社の神主であり、ある時は美輪明宏の姿をしてた。

私を導いた事を良く思い出して、それと同じ様な事を人々にする事が、私にとっては御役目を果たす事なのでは無いかと思ってる。その先に見える私個人の未来は明るく幸せに満ちてる。そう思えるのだから、どんな形で有れ誰かの為に生きると言う死生観は、きっと自分自身を幸福にしてくれる大きな要素だと感じた。

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