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プロ 棋士編 text by 月岡耕太郎  後編

☆月岡耕太郎☆見出しイラストの大学一回生。北海道在住。幼少期に碁盤を発見し、自分で遊び始めたことがきっかけで囲碁を始める。それ以来、今でも囲碁を打ち続けている。

 最先端の技術を駆使して作られたAIのおかげで、面白いことに江戸~昭和時代によく打たれていた手が見直されている。つまり、温故知新である。例えば漫画『ヒカルの碁』でおなじみ「秀策(注6)のコスミ」は江戸時代によく打たれていた手であるが、時が進むにつれ甘いと判断され徐々に姿を消していった。が、AIが「秀策のコスミ」を高く評価したのを皮切りに現代で再び日の目をみることになったのである。もちろん、AIは鮮烈な手も次々と人間に示している。棋士が1日考え続けても思いつかないような深い読みの入った妙手を一瞬にして示すことも往々にしてある。
 

 つまり、「実際の囲碁は人間が想像していた囲碁よりもさらに複雑で深みのあるゲームであるということをAIは人間に示した。言い換えると、AIは人間が無意識的に作り出した限界のその先を明らかにした。」ということである。今世界中の棋士たちはAIの示す非常に深い読みに裏付けられた無数の手を一手一手丁寧に吟味し、消化していくという気の遠くなるような方法で、今まで以上に難解で、複雑な、限界のその先に挑み始めている。今まで以上に難解で複雑であるからこそ、棋士たちが半ば狂気じみた態度で試行錯誤する姿は、以前よりもはるかに輝きを増したように思える。
 以上のことから、私は棋士の存在意義は無くなったとは思わないし、むしろ、AIの台頭によって棋士がより一層輝くようになったと考えている。
 

 今囲碁界では芝野虎丸名人、中村菫初段など「AI世代」の若手棋士達が日々目覚ましい成長を遂げている。彼、彼女らがこれからどんな碁を見せてくれるのか一アマチュアとして非常に楽しみである。最後に私が大好きな、囲碁棋士、ではなく将棋棋士羽生善治九段の、棋士ひいては人間の存在意義についての見解を示した言葉を引用してこの文章を締めたい。(news zero 10月31日放送)

 (何で人間は将棋を指すんだという問いに対して)「あっ、そうです、まさにその通り。そのことが今問われている。統計的に確率的に精度の高い手を基本的にAIは選んでくるので。じゃあそれをずっと続けていくことが良いことなのか。例えばノーベル賞の発見とかって確率的に言ったら全部低いものばかりじゃないですか。始める段階で1%とか、0.1%とかその可能性にかけて研究をしていくということですよね。だから、そういうものは人間がやるべきものというか。」

おわり


注釈

6. 秀策 江戸時代の囲碁棋士、本因坊秀策のこと。無敵と呼ばれるほどの棋士であった。また、優れた人格者でもあり江戸でコレラが大流行した時、周囲の制止を振り切り感染者の看病に当たった。が、自身も感染し34歳の若さで死去した。「秀策のコスミ」について、本因坊秀策は「碁盤の広さが変わらぬ限り、このコスミが悪手とされることはあるまい」と語ったとされている。本文にも書かれているが、時が流れるにつれ甘いとされ消えていったこの手はAIによって評価され現代では有力な手とされている。秀策の慧眼、恐るべし。


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