見出し画像

プロ 棋士編 text by 月岡耕太郎 前編

☆月岡耕太郎☆見出しイラストの大学生一回生。北海道在住。幼少期に碁盤を発見し、自分で遊び始めたことがきっかけで囲碁を始める。それ以来、今でも以後を打ち続けている。

 今現在、第三次人工知能ブームはその盛りを迎えAIは急速な発展を遂げている。そんなAIブームの波は、私の趣味である囲碁にも多大な影響を与えた。
 

 数年前までは囲碁のAIはまだまだ発展途上であり、「AIが囲碁において人間を超えたら、世界が滅亡するだろう」なんて豪語していた囲碁棋士もいた。しかし、2016年3月、世界トップクラスの棋士であった李世ドル九段が囲碁AIの一つ、『アルファ碁』と五番勝負を行い1勝4敗と負け越したのを皮切りに、AIは破竹の勢いで人間を抜き去っていき今や人間がAIから囲碁を教えてもらう時代になっている。

 そんな時代で、「AIに勝てない棋士に存在意義はあるのか」という疑問は当然出てくる。確かに指導碁(注1)や新型研究(注2)などは無料の囲碁ソフトであるLeelaZero(注4)を使えば解決する話であるし、棋力もAIのほうがはるかに上である。では、

 棋士の存在意義は本当になくなったかのように見えるが、実際はどうなのだろうか?

 まず、棋士、ひいては一般に「プロ」と呼ばれる人の存在意義とは何だろうか?自分が行う競技の普及?スポンサーの宣伝?等様々な存在意義が考えられるだろうが、最も核となる部分、プロの本分とは「人間の際限ない限界に挑み続け、人々を魅了する」ことであると思う。ここで重要なのは、人間が人間の限界に挑み続けるということである。例えば、「どんなに高難度の曲でも人間より正確に、美しく演奏するAI」の演奏を聴いているシチュエーションを想像してみて欲しい。どうであろうか。感動するだろうか。少なくとも私は感心こそすれ、感動は全くしない。逆に、人間の音楽家が例えミスをしたとしても、鬼気迫る集中力で演奏していた方が、はるかに心動かされるだろう。

 囲碁が趣味の私は棋士の対局姿(あなたにとってそれは、他の道のプロかもしれない)や、棋譜(注5)から、自分と同じ人間が時には感情的になりつつ、もがき苦しんで、人間の限界に挑戦し続ける様をありありと感じ、心動かされ生きる力を貰っている。AIの対局姿、棋譜には決して心動かされないし、生きる力なんて絶対に貰えない。そういう意味でAIが棋士より強くなったからと言って棋士の存在意義は決して薄れたりしないだろう。

(Ⅱに続く…)

注釈

1. 指導碁 アマがプロにお金を払い、打ってもらう対局のこと。勝ち負けは重視されず上手が下手を囲碁の棋理にかなった手を打てるように導くために行う。LeelaZeroは本気で負かしにくるが、検討機能がついているためどの手が悪かったかを調べることができる。

2. 新型研究 新しいを模索すること。AI登場以前は人間の仕事だったがAI登場後はもっぱらAIがやるようになった。ただ、AIの見せる新型定石(注3)はあまりに複雑かつ難解で研究に研究を重ねないと使いこなせず、半端な理解のまま新型定石を使い、予期せぬカウンターを食らいサンドバッグされる人が後を絶たない。

3. 定石 囲碁・将棋で、ある局面において最善とされる一定の打ち方。定石に従って双方打てば大抵互角となる。日常でよく使われる「定石」という言葉も、これに由来する。

4. LeelaZero 無料でダウンロードできるコンピュータ囲碁ソフト。他の囲碁AIが人間から多少なりとも学んでいるのに対し、LeelaZeroは囲碁の基本的なルールのみをプログラムされ、自己対局を繰り返しその結果に基づいて学習を行われたニューラルネットワークを持つことで強化された。そのため、人間の発想にない斬新な手をたびたび示す。(Wikipedia参照)私の所属する囲碁部にはLeelaZeroがダウンロードされた高性能PCがあり、よく対局の検討に使用されている。

5. 棋譜 互いの対局者が打った手を順番に記入した記録のこと。(Wikipediaより引用)対局後にその対局の棋譜を一人で書ければ一人前と言われる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?