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ぱっとみ真面目な中間管理職の私が、芸人に憧れて芸人を諦めるまでの10年間(13)最終回

今年ディズニーランドと一緒に40歳アニバーサリーを迎える、見た目も平凡、人生も平凡、中間管理職が天職の私が、18歳から28歳まで芸人になりたくてくすぶっていた話。そして、きっぱりあきらめた話。

最初で最後のM-1予選

結局M-1予選には、「思い出作り」ということで、大学のサークルの時に照明を担当していた友人が一緒に出てくれることになりました。
彼女は一度も舞台にたったことがなかったのですが、愛嬌のある子でした。
ちょうどフランスに留学する予定があり、なんとなく自分も日本を発つ前にやってみたくなったと言っていたような気がする。
そのころには、「漫才は本人たちの持つ空気感を無視したネタをやってもウケない」と気づいていたので、私とその子にぴったりな話題は何かというところから決めることができました。
「私たちモテないね」という、ありきたりで自虐的なスローテンポの漫才でしたが、これが妙にウケた。ウケたといっても、素人のそれで、しかも会場のお客様が優しかったからなんだけど。
ただ、そのおかげで、私は「面白いとは思ってもらえる。でも、芸人としての面白さでは、今後も一生ないんだろうな」と、自分の夢に区切りをつけることができました。

四六時中考える根性がなかった

そしてスタッフ養成スクールでは、卒業制作の短編動画(極道の組長が死に際に思い出した謎の女を描いた、これまた"シュール"な話)をチームで作り、私の芸人へのあこがれはそこで終わりました。
先生は「四六時中面白いことを探して、考えてるやつが面白い人間になる。」と言っていました。
街を歩いていて目についたものをどうしたら面白くできるか。
自分がどんな服を着れば面白いか。
どうすれば私の考えを面白い(それまでにない視点だ)と思ってもらえるか。

私は、無理して振り回していた腕を止めて、面白いことを探すことをやめました。

これで、私が芸人を目指した10年は終わり。
終わることで次の10年に踏み出せた話です。
きっと、この10年の間に社会人になって、自分にも頑張れることがあるって、自分を信じられるようになって、自分が少し冷静に見られるようになったんだと思います。

何も成し遂げてはいないけど、何者にもなれなかったけど、それでも自分は生きて行っていいんだと、出会った人たちが教えてくれたんだと思います。

おわりに

次の10年、私は仕事が楽しくなり、執行役員になるまでになり、職場でまた新たな青春を見つけ、この「仕事の10年」では、あまりお笑いを見なくなりました。
見なくなったといっても、M-1もキングオブコントもみているから、興味のない人よりはずっと見ているのだけど。
YouTubeを見てる時間のほうが長くなった、という方が適切かもしれないです。

変な人だと思われたい、ということもなくなりました。
なぜか、「昔は変な人だと思われたかったんだよね」というと、
必ず「十分変な人だけど?」という回答が返ってくるようになってしまっていました。
求めていた時には言ってもらえなかったのに、不思議なものです。

そして今、その「仕事の10年」が終わりました。
私はまた、テレビを含むメディアを改めて"見る"ことにしました。
お笑いに対して前のような情熱はありません。でも、私の原点に帰る必要があるように感じます。
そろそろ私はまた、次に進むために、何かを終わらせる準備をしているのかもしれません。
次に全力でゴールを探して走り出す、迷路の入り口を探して。


(これでこのお話は終わりです。お付き合いくださった方、ありがとうございました!)

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