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多分大好きだったけど、大嫌いになった元上司の話。

2018年から2年間だけ、
中東のあるコスモポリタンシティに
住んでいました。
そして、
コロナが日本で流行しはじめる直前の
2020年2月に帰国しました。

コスモポリタンシティ概要

中東というとイメージされる石油はとれず、
その都市は観光業で成り立っていました。

よって石油王には出会っていません。

人口の何と90%は外国人で(2018年当時)、
現地人は本当に少ないのです。
そして、現地人は本当にお金持ち。

現地人たちはカンドゥーラやアバヤに身を包み、
そんな方々が働く行政手続きの窓口は、
午後3時に閉まってしまう。
現地人たちは、
生きるために仕事をしているわけではないのです。

イスラムの国なので、
1日5回朝っぱらからBOSEのスピーカーで
お祈りの声が聞こえるし、
ラマダン期は就業時間が短縮されます。

スーパーやショッピングモール、
公衆の面前で、男女が手を繋いだりハグやキスをするのは
禁じられています。

ショッピングモールで買い物をしていて、
知らない男性に話しかけられました。
「お、もしやナンパ?」と期待したら、
イエローカードみたいなんを見せられて、
「何か羽織って肩を覆うか、膝を隠して」と
セキュリティーに注意されただけでした。

別に決まってはいないけれど、
バスの前方には女性や子供が座り、
後方には男性たちがぎゅうぎゅうになって座っていました。

結婚披露宴でさえ、
男女別に執り行われていました。

美容にうるさい女性たちは、
ある程度の年齢になると、
親や友人から「あなたそろそろ…」と
美容整形を勧められるそう。
みんな目鼻立ちがはっきりしていて、
もともととても綺麗なんですがね。

夏になると、
日中の気温は50度にまで昇り、
しかし乾燥しているので決して嫌な暑さではなく、
私はむしろあの肌をじりじり焼き尽くす
灼熱の太陽を楽しんでいました。

車社会だから、通勤、退勤ラッシュはものすごくて、
普段20分もかからないような所まで行くのに、
1~2時間かかることもありました。
しかもみんな運転がすごく荒い。
バスで席に座っていたのに、
座席から転がり落ちたことがあります。

本当に面白い場所でした。

遠距離恋愛をしていなければ、
あの場所にとどまっていたかも…?
とも思います。

最初は遠距離になるからって
めちゃくちゃ反対していたのに、
海外で働くという幼い頃からの夢を
一番応援してくれたのは、
誰でもない夫でした。

日本と中東、
往復で20時間ほどの距離を、
毎月私に会うために作ってくれていた夫には、
感謝しかありません。
しかも滞在時間は
48時間だけだったのに…。

風の噂

私が働いていた事務所の本社は、
日本にあります。

当時の同僚とは、
時差やら週末のすれ違い(そこでは当時、
金曜と土曜が週末とされていました)があっても、
いつも社内メールでやりとりしていました。

今でもご縁があって、
個人メールで頻繁に連絡を取っていています。
先日彼女からのメールには
こう書かれていました。

「もうご存知かもだけど、xxx先生昇格されたよ」

xxx先生は、私の元上司でした。
私は彼の秘書でした。

最初は先生のことをとても尊敬していたのですが、
だんだん先生のぶっ飛び具合についていけなくなって、
次第にめちゃくちゃ険悪なムードになって、
最後に大喧嘩した相手です。

私が先生のことが好きではないと彼も知っていたし、
先生も私を扱いにくい女だと思っていたのは
よくわかっていました。

私が退所後、結婚をしても何の連絡もなかったし、
こちらからも一切連絡はしていませんでした。

大嫌いな人ではあったけど、不思議なことに、
先生の昇格のニュースを純粋に喜んでいる自分がいました。

理由はいくつか

先生は私を「真面目」だとおっしゃっていました。
先生が私に言う「真面目」は、
決して誉め言葉ではありませんでした。

遊びがない。肩に力が入りすぎて、
空回ってる。うざい。

という嫌味だったと思います。

私たちの事務所には、
先生と私の2人だけしかいませんでした。
時々優しいインド人の運転手がオフィスにいたけど、
就業中は2人きり。

オープンから1年経っても、
立ち上げ直後って感じの狭い事務所で、
私と先生の机が2つと、
本棚とコピー機があるだけでした。

最初は先生のことを心から尊敬していました。
それに、先生のことが大好きでした。

くしゃくしゃのシャツを着て、寝ぐせだらけの頭で、
ミーティングに遅れて現れても、
口を開けば完璧なビジネス英語で相手をまくしたて、
トリッキーな質問にも的確に答えていく。

…この人、ただモノではない。

日本一の大学を出て、
みんなから先生と呼ばれる仕事をしていて、
困っている人たちのために朝から夜遅くまで働く。

本をたくさん読んでいて、
文章を書くのもお上手だったから、
執筆活動もされていた。
先生の書いた文章を読むのが、実は好きでした。

なのにいつからか、
一緒にいるのがしんどくなって、
先生の名前が話題にのぼるだけで
眉間に皺が寄るようになり、
嫌悪感を隠せなくなるほど
嫌いになってしまいました。

どこに行っても日本人に会うと、
必ず先生の知り合いといえるほど
顔の知られた方だったので、
次第に出かけるのを控えるようになりました。

嫌いにーというか尊敬できなくなったーなった理由は
色々です。

雇われる前に言ってた、
一緒に頑張っていこう!みたいな雰囲気は
1ミリもなかったこと。
とにかく事務所に一人きりでいることが多くて、
グランドスタッフの時に
事務所でわいわい働いていたのを思い出しては、
寂しくて泣いていました。

めちゃくちゃ大きい声で発せられる独り言が、
とんでもなくネガティブだったこと。

奥さんが妊娠されたのを教えてくれなかったこと。

考え方が昭和で、
女性を接待要員として扱っていたこと。

ものを大切にしないから、よくものも失くして、
ものが失くなったらまず私を疑ってきたこと。

私の目の前で、
「秘書(私)に高い給料払ってるしなー」みたいな電話をしていたこと。

インスタントコーヒーを入れろというから入れたら、
まずいと言われたこと
(インスタントコーヒーなんてどうやってまずくなるんや)。

夜ちゃんと寝れないので、
就業中事務所で床に寝袋を敷いて寝ていたこと。

寝袋は床に敷きっぱで、
ご飯の食べ残しは机の上やコピー機に
置きっぱにされていたこと。
そしていつもその片付けを
しなければいけなかったこと。

私が退職するときのお別れ会では、
ひたすら本社にいる秘書がかわいい、
優秀だと話し続けていたこと。

そのあとにもう一度、
割と高くてビジネスランチで利用されることが多い
レストランでランチをしたのだけど、
そこではテーブルに突っ伏して
居眠りをし始めてしまったこと。
周りのお客さん達にすごいじろじろ見られました。

でも極めつけは、事務所を引越す時。

「お忙しいでしょうから、
箱詰めをしてほしいとまでは言いません。
せめて貴重品とかなくなったら困るものは、
ご自身で持って行ってください。」
と優しくお願いしました
(私の中では優しくしたつもり)。

にも関わらず、引越し当日事務所に行ってみると、
飲み掛けのコーヒーのカップは
いつも通り机に置いたまま。
机の2番目の引き出しの中には、
どこかの国の札束や小銭や、USBなどなど…
手付かずでそのまま置いてありました。

でも最悪だったのは、次の引き出し。
財布とコンドームが入っていました。

「なんで会社にこんなもん置いてるの?」と
理解ができませんでした。
(余談:この話をすると、みんなが(私の母親までもが)
「え、使用済み?!」と聞いてきます😂
んなわけない。)

それに、海外で引っ越しなんてしたことがないし、
1人じゃ不安だから絶対に一緒に引っ越し作業を
見届けてほしいと思っていたし、
来てくれるようなことを言っていたのに、
結局引っ越しに立ち合ってくれず、
心底ガッカリしました。

最初はかなりお慕いしていたので、
その反動で一気に嫌いになってしまいました。

バスとメトロを乗り継ぎ、
新拠点へは1時間近くかけて到着。
到着するなり、私の不機嫌さを察知して、
先生から声をかけてくれました。
その時私はブチギレていたので、
コンドームを見つけたことを話しました。
私が怒ったのはそこじゃないのに、
なぜかその話をしてしまったんです。

先生は、「子供が家にいるんだから、
家に置いとけないだろ」と
私にとっては理解できない弁解をしました。

すっごく険悪になって議論が終わり、
先生は手ぶらでフラッとオフィスを出ていってしまい、
就業時間を過ぎても
事務所には戻ってきませんでした。

次の日、私の発言が頭にきて、
仕事どころではなく、
家に帰ってしまったとおっしゃっていました。

でも、このままではいけないから、
と先生が話し合いの機会を設けてくれて、
私がなぜあんなにキレていたかを
冷静に話すことができました。

そして、先生も私が至らなかったところや、
直して欲しいところを冷静に教えてくださいました。

この話し合いで、
2人の関係性は少しは良くなったのかもしれません。
私も先生にお話しするときは、
少し心に余裕を持って話せていたと思います。

でも先生は、私と接するときは、
腫物に触るような感じだったのかもしれません。

2年と言う時間を同じ場所で過ごしても、
私たち2人の距離は、永遠に縮まりませんでした。

久しぶりの連絡


先生のことは大嫌いではありましたが、
先生が試行錯誤しながらほぼお1人で
事務所を運営していらっしゃったのは確かです。

もちろん本社からのサポートを得てですが、
現場では1人で事務所を立ち上げ、
何とか低コストで事務所を運営できるように勉強し、
コネクションを作り、
人を雇い、
昼夜逆転して働くか、営業のためのパーティーをする。

そんな先生がやっと昇格できたと聞き、
私は素直に嬉しかったのです。

でも、大喧嘩もしたし、
2年もご無沙汰していたのに、
いきなり連絡するのってどうかなぁ。

おめでたいことなハズなんですが、
数日考えてしまいました。

先生のことだから「誰から聞いたの?」とか
問い詰めてきそうだな。
そしたら教えてくれた友達が責められちゃうかな…。
他にもいろいろ、
なんか文句言われそうだな。

いろいろ考えましたが、
まぁ、お祝いされて嫌がる人はいないだろうと思い直して、
「ご昇格、おめでとうございます。やっとですね。」と
シンプルな文面にしてLINEを送ることにしました。

「いつかまたお会いできる日を楽しみにしています。」

そんな社交辞令はどうしても入れられず、
代わりに「お体にお気をつけて」と書きました。

メッセージはすぐに既読がつかず、
翌日返信が来ました。

「◯◯(私の本名)ちゃんから
LINEをもらえるとは思っていなかったから
嬉しいです。
ありがとう。
フランスではコロナの状況どうですか。」と、
変な問い詰めもなく、フツーの返信でした。

先生からの返信が嬉しくなって、
「ご返信ありがとうございます。
フランスでは、無責任な人が多く、
私たち夫婦も陽性に…」

打ち始めてから、指を止めました。

2年しか一緒にいなかったけど、分かったこともあります。

「返信しても、もう先生はこれ以上返信をくれないだろーな。」

先生が、「フランスの状況はどうですか」と聞くのは、
決して本気で知りたいわけではないのです。

「もう会うことはないかもしれませんが、
どうぞお元気で。」

そう思って、返信するのは止めにしました。





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