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The 3rd 「承認欲求」

さてさて。前回めいかちゃんの投稿から二ヶ月弱も経ってしまいました。まったり往復書簡(文通)といえどまったりしすぎじゃろ…!すみません(;´Д`)

さてこの二ヶ月、本職が年度末に向けて忙しかったのもあるんですが、流行り?のコロナにかかり一家壊滅しておりました。

いやぁ人生ほんと色々ある。
私、10代前半から姫願望が強いんですがね。白馬の王子様を心のどこかで待っているんですよ。
その気持ちは未だに顕在なんですが、特に20代後半からは、こうやって色んな人生のハードモードにぶち当たり、「私の白馬の王子はどこ?!」と嘆き、嘆きつつも「乗り越えるしかない」とド根性で1人で乗り越え、以前よりタフになるというループを繰り返してます。
こうやって人は強くなるもんだと思いつつ、もはやケンシロウ(分かる?北斗の拳って漫画知ってる??汗)ばりに最強な漢じゃないと釣り合わないんじゃないかと思ってきております。ハイ。いやでもまだ諦めてない(笑)世界は広いので日本にはいないかもしれないけど海外にはいるかもしれない。「タフだけど時々おっちょこちょいなえいこがベリーキュートだぜ!」と言ってくれるイケメンで細マッチョで料理が得意な男性がきっといる…それを糧に英語学習を頑張ります。動機が不純!

さて雑談が過ぎました。今回のテーマは「承認欲求」です。

本の第5章「承認欲求」では、割と男女感での承認欲求にフォーカスしてましたが、私はもうちょっと性別という枠から広げつつ、私の人生迷い道(演歌歌手のタイトルみたいだね)を披露しようかと思います。

自己肯定感レベル2の10代

前回母と娘の関係について書きましたが、承認欲求を語る上で外せない母娘関係の話だったので、この承認欲求を書きたくて前振り的に前回は親子関係にフォーカスしました。

思えば10代のころからずっと「誰か」に自分を認められたいと思っていました。

10代のころは小さいころから年子の姉とよく比較されていて、勉強のできる、オールマイティというよりスペシャリストな姉の才能を尊敬し嫉妬していました。

年子というのもあり母は比較しやすかったのでしょう。戦闘民族に育てるために幼稚園の頃から受験戦争が始まるわけなんですが、幼稚園・小学校・中学校と比較され続けて、今思うと自己肯定感レベルは10段階中、2ぐらいでした(笑)

中学2年生になったころ、急に勉強することがバカバカしく感じてきて勉強に身が入らなくなりました。勉強していい点数を取っても、私が認められることはなく、母親の成果になるんだなぁと思ってしまいました。

高校生になって自分の将来を考えた時に、最初はインテリアコーディネーターになりたいと思いました。次にインテリアデザイナー。次に建築デザイナー。空間をデザインすることを仕事にしたいと自分としては一貫したストーリーだったんですが、言語化するまでだいぶ時間が掛かりました。結局うまく言語化する前に親には全部否定されました(笑)


「女」「子供」というだけで基本的に馬鹿にする父親が工学部出身というのもあり、「理系あらずんば人にあらず」じゃないけど、デザイナーという生き方では父親は決して自分を認めないだろうと思い、結局工学部建築学科を志望。今思えば理系に行く方向以外に選択肢はあってないようなもんだったなぁと思います。

高校生になると姉もグレ、私もグレ(笑)親との衝突も増えました。
今思うと愛に飢え切った10代だったなぁと思います。ただでさえ大学受験という自己肯定感を簡単に崩せる比較基準がある中、自信がもうすべての面において無くなっていました。

そんな中、大学受験では失敗。浪人して再チャレンジしようと思っていたら滑り止めで受けた大学が合格。浪人する気満載だった自分が、あれよあれよと大学生になってしまいました。

あんだけ切望していた、親元を離れるということがもう1年先伸ばしだと思っていたのに現実のものとなり、私は急に自由になりパッパラパーになりました。

自分のレールに軌道修正する20代

大学に入学して一年間は全く大学に行かず。遊んでばかりでした。私の生きる目標は「大学に入れば終わり」だったからです。入った大学もパッとしない大学になり、いよいよ自己破壊衝動が強くなりました。
『もうどうでもいいや~明日のことなんて~!』と。

そこで今度は恋愛軸で自分の存在を認めてくれる人を探し始めました。恋愛というフィールドにおいてはこんな自分をあるがままに、認めてくれる人がいるであろうと、彼氏、彼氏、彼氏を作るんだ!と必死になります。

上野千鶴子さんが「ドブに捨てるような恋愛」と書いたように、私もろくでもない付き合い方もしました。恥をかき、色んな人に迷惑をかけました。
恋愛なんて~とか、「彼氏がいなくても私は私」と自分のペースを貫く友人をうらやましく思いました。『なんで彼氏がいないのにそんなに余裕があるんだろう?』と思っていました。

このあたり、上野さんんや鈴木さんのやりとりが非常に耳が痛い内容です。ほんと性欲がもっと少なければ私の人生はもっと穏やかになったんじゃないだろうか(笑)

今思えばこの当時、「男性が求める理想の女性」みたいなのを常に意識していました。見た目に自信のなかった私は、家庭的なところは唯一攻めポイントであるとし、付き合っていた彼氏にせっせせっせと世話を焼き、家庭的な人間アピールをしていました。哀れだ、当時のえいこよ…(笑)

恋愛関連ですったもんだしつつも、勉学の方では担当教官からちょっとしたトラウマを植え付けられ、ここでもド根性を発揮。大学院進学を決めます。
「私は私のために勉強するんだ!誰にも理解されなくてもいい!」と腹をくくります。

補足。前回「母は私を戦闘民族に育てた」と書きましたが、最近子供を育てて思うのは闘争心というのは育てるものではないということですね。娘と息子を比較してしまいますが、どう見たって娘は闘争心が強い(笑)
赤ちゃんの頃から不快なことにはNO!!と大きな声で言うのです。自己主張が強い。めいかちゃんの言うところの遊牧民族は息子の方で、遊牧民だって戦争するんですけど(チンギスハーンとかさ)闘い方が違うんだなぁとしみじみ観察しちゃう。私がピンチにド根性を発揮するのといっしょで、どいいう風に育ってほしいとか、親がどうこう言えるもんじゃないんだなぁと思います。

大学院進学、就職と順調に進みました。
そのころ、もはや親に認められたいという強い欲求は全く無くなっていました。心の底で「きっと私がやっていることはクレイジーだと思っているに違いない。分かり合えなくて結構だ」と諦めモードでした。しかし、私が一人暮らしをするために家を出て、母が働きだしたり、祖母が亡くなったりと環境変化もあり、私の頑張っていることを「えいこはえいこなりに頑張っているんだね」と認めてくれるようになりました。あれだけ欲しかった親の承認は、意外にも自分で見つけたレールを走っている時に貰えました。

「自分で自分を評価する」を学ぶ30代

最初に入社した会社は、私をとても評価してくれる上司に出会い、順調でした。

人に認められたい願望が強く、よく言われるのは「野心的」というパーソナリティなんですが、この性格と仕事って非常にマッチングしやすいんですよね。仕事ってほんとわかりやすい。受験戦争よりわかりやすい。自分で自分のフィールドを選べるし、テストみたいにここで査定します!というものがない。毎日ちょっとづつ頑張っていたら、その頑張りに共感する人が評価してくれる。(そうじゃない場合もあるけど)

でもこれって10代のころから仕組みは全く変わってなかったんですよ。ずーっと「他人」からの評価を自分の評価としている。まぁ仕事なんでね、ベースとして自分のスキルを切り売りしてお金に変えているので周囲からの評価は必ず必要なんですけど。

独身時代は自分の時間をほとんど仕事に使っていても何の問題もなかったんですが、いざパートナーや子供ができると、判断基準が「仕事(会社)」だけではうまく判断できないことが増えてくるんですよね。

仕事って究極経済合理主義なんだと思うんですが、特に私が関わっている製造業って「売ってなんぼ。儲けてなんぼ」の世界なんです。そのうえで日本独特?の就業文化みたいなものの上で働くとなると「長時間労働」や「村文化」というのが判断基準になるのです。(うわーって感じなんですけど)

でもその考えのもとで私生活まで判断すると、子供を持つことすら全部「無駄」です。ギャンブル性が高く(私の場合ね)高コスト。そのあとの生活も不明確だしそもそも仕事ができない期間が長い。ハイリスク。そんな企画、ハイさよならです。

それでいいんかーい!?と思うようになりました。このクリステンセンの本を読んでさらにそう思いました。

自分の快・不快にもっと正直になろうと思いました。これが他人の評価で生きてきた私にとって大きな変化だと思います。

人の評価に右往左往していたんですがようやくバランスが取れるようになってきました。34歳児、大きな進化(笑)

それでも未だにコンチキショー!と思うこともあるし、ちょっとしたことですぐイライラするし、相変わらず野心家なのは野心家なんだと思うんですけど。
そういう自分の心の狭さも受け入れるというか、少しづつ客観視できるようになりました。斜め上から自分を見下ろし、『アッハッハ。器ちっさ(笑)相変わらず俗っぽいね(笑)』みたいな。

実はこの自分の快・不快という感覚に敏感になるほうが他人の評価を鵜呑みにするより難しかったりします。

めいかちゃんのいう、「原始的な生き方(プリミティブなもの)」というのは、自分の快・不快に敏感になる生き方なのかなーとも思います。違ったらごめん(笑)

きっと異国の地で、今までで普通だと思ってきた文化を一回横にヨイショと置いて、他の文化にどっぷり浸かったからこそ得た価値観だと思うんですけど、私もそういう経験がもっと必要だなーとしみじみ思うんですね。

気が付いたらゆでガエルになっていた、ってならないように、自分の肌感覚に敏感になるように、環境と自分のコンディションは整えていこうと思う30台半ばです。

本からすごく逸脱しちゃった(笑)
めいかちゃんの承認欲求について教えてもらいたいです〜。

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