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その暴力の意味がわからなかった。

記憶の最初期の風景は、3歳くらいの自分自身が父親に殴られているもので、母親はニヤニヤと此方を見ていて、そこには3歳年上の姉の姿はなかった。「言うことを聞かないから殴ったんだ」後に母はそう言っていたが、一体3歳児が大人の言うことを聞けるものなのだろうか?正直にいえば私に限っては多分聞けるタイプなのだが…。                 姉の子供が3歳になった頃にあらためて思ったことがある 。3歳だろうが何歳だろうが他人の顔が腫れ上がるくらい拳で殴る人間は頭がおかしいのだと。                                  父と母は徹底的に頭がおかしい、あとたぶん姉も少しだけ頭がおかしい(姉は、かもしれないしそうでないかもな範疇ですが…)。                                                                  

 父親に関しては、自分ルールを曲げずに生活全般において何事にも融通が利かなく、力の加減がマトモでないこと、どうやらドラマの出演者等の表情が読めないらしいこと(だから相撲をみたり、水戸黄門くらいしか視聴しない。あと競馬か…)こうして昔のことを書きながら、現代のニュースを見ていて気がついた。わたしが目にしたニュースは、自閉症の青年が見ず知らずの子供が煩いと癇癪をおこして暴行を加え逮捕されるという事件だった。                                                                        わたしが過去に父親から受けたの暴力もこの類いで、ニヤニヤしていた母親は父親を制止すると自分自身に危害が及ぶことを知っていたのだと思う。わたしの自分自身の原初の記憶の光景は、父親に殴られたことから始まっていて、その光景からも解離していることが今は分かるのだけれど……。                                   そうそう、姉の名は父親が名付けたもので父親は姉を気に入っている。わたしの名前は母親が適当につけた。有り得ないくらい字画として最底辺な名前で、父親に名付けられた父親お気に入りのホステスの名前をもつ姉は、幸運にも名前として最高の字画だ。           父親は相当な自閉症スペクトラムなのだろう、会社の健康診断で精神分裂病と診断された過去もある。 そりゃそうだろうなと思った。実の子供から見ても頭がおかしいので……。父親の職業は職人ぽい作業をするものなので、そのまま生涯独身で暮らせばよかったものを、社の会長や社長がお節介にも見合いなんかを何千回もさせてくれたお陰で、わたしという廃棄物が生まれてきてしまった。   とても父親が勤務していた社の幹部連中が憎かった。自閉症スペクトラムという概念が一般に知られていなかった時代だった。               つづく

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