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住めば都、出れば難儀 ー沖縄の「へそ」うるま市石川のローカル生活(24)

今回は舞台を沖縄から離れて、しかし沖縄生活の話をします。

僕の沖縄生活は、移住ではなく転勤でした。なのでたまに東京への出張もあります。大学進学時に上京以来、東京生活が長かったので、都内のホテルに宿泊するという経験は初めてで、なかなか面白かったです。

サラリーマン的立場をわきまえ、東横イン、アパホテル、JR駅直結のホテルメッツなど旅費規程に見合ったビジネスホテルを常宿にしていましたが、一度だけ同価格帯にまさかの東京ドームホテルが出現したことがあり、速攻で押さえました。トップ写真はその時に撮ったもので、いい経験でした(笑)

さて上京した日の夜の楽しみが、会社の同期なり学生時代の友人なりに声をかけ、久しぶりに一献傾けることです。独身で、収入もそこそこ増えてきて楽しい20代後半、華の首都東京、彼らは彼らで羨ましいこと!と話を聞きながら思ったものです。

ところが沖縄生活が長引くにつれ、次第に東京と自分とのギャップを感じるようになりました。平たくいうと「こっちはこっちでまあ楽しいけど、沖縄の生活に戻りたいな〜」と、沖縄の価値観に染まり切ってしまったんですね。以下具体的にいくつか挙げてみたいと思います。

(1)もう、急げない

JRの山手線ホームに上がろうと階段をてくてく登っているときにホームから発車メロディーが聞こえると、周囲を同じように歩いているスーツ姿の人々が、ダッ!と階段を駆け上がって行きます。今にも閉まらんとする電車の中に滑り込んでいく彼ら彼女らを眺めながら「狭いニッポン、そんなに急いでどこへ行く……」と、しばし呆然としました。

しかしよく考えれば僕も東京生活では電車に駆け込んでいくこともしばしばあったはず。電車のない沖縄で「駆け込む」というアクションを忘れ去ってしまったのです。文化が変われば、感覚も変わるものです。

(2)人、多過ぎ 電車、辛すぎ

終電近くまで酒を飲んで友人らと別れ、ホテルの最寄り駅まで戻ろうと満員電車に揺られるときは「なんで自分こんなたくさんの人にパーソナルスペースを侵されて、酔っ払って眠いのに立ちっぱなしで電車に揺られているんだろう」などという問いが頭にまとわりついていました。

沖縄ではタクシーにしろ運転代行にしろ、自宅の近所まで車で戻ってくることが一般的だったので電車で帰るのがずいぶんしんどく感じました(元々、都内で頻繁にタクシーに乗るような感覚の人間ではなかったというのもあります)。日中の移動も「電車面倒くさいなー車運転したいなー」などという怠惰心が隙あらば渦巻いていました。

(3)冬、寒過ぎ

前提として、沖縄の冬は温暖で非常に過ごしやすいです。最初の1年は「こんなに暖かいんだ」と感動ものでした。「寒い寒い」という沖縄県民に「いや、温暖で過ごしやすいよこれくらいは」と主張していました。しかし人間の慣れは恐ろしいもので、2年目の冬は一緒になって「寒い寒い」と寒がっていました。

そんな最中の12月、真冬の東京出張で空港から出たときにまず「あ、沖縄の寒さごときで寒がって本当にすいませんでした」と思いました。あの手足がかじかむような感覚。久しぶりに芯から凍えました(これも北海道や東北の人から言わせれば失笑ものかもしれませんけど)。


あとは僕は花粉症ではないのですが、花粉症の人にとって、杉のない沖縄は春の天国だったりするらしいですね。

田舎から東京に出てきた僕は、若さもあってか、東京生活に順応していました。しかし沖縄に移り住んで数年間で、すっかり沖縄生活が馴染む心身になっていたといえるでしょう。「住めば都」とはよく言ったものです。

このまま「都会では人間らしい暮らしはできない。もう無理だ」と移住するタイプもいるのかもしれませんね。しかし僕の場合は現在東京に戻って2年。コロナもあったにせよ、すっかり東京生活に再度溶け込んでしまっているので、まあどこでもやっていけるタイプなのかなと前向きに捉えています。

ただ今でも、電車の駆け込みは「そんな急いでもしょうがないし」と見送る心持ちになりました。歳のせいとは思わず、沖縄マインドが良い影響を与えてくれたかなと思うようにしています。

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