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はじめまして。 noteをはじめます

はじめまして。未來交創株式会社の前田安正と申します。
文章コンサルタントの仕事をしています。
noteに原稿を書くのは、初めて。今回はそのご挨拶をかねて、自己紹介風の雑記を書いてみます。

朝日新聞で仕事をして39年。そのほとんどを校閲というニッチな部署に籍を置いていました。
もともと、取材記者になろうと試験を受けたのですが、最終面接で落第しました。その後、たまたま校閲専門記者を募集することを知り、再受験しました。一度落とした人間を採用することもないだろうと思いつつ受けたら、するするっと受かってしまったのです。校閲がどういう仕事なのかも知らぬまま、迷い込んでしまったという感覚でした。

入社当時の新聞社は妙に熱量の高い会社で、年がら年中、頭の中が沸騰している感じでした。休みなんて欲しいと思わなかったし、あっという間に時間が過ぎていくスピード感も性に合っていました。宿泊部屋もあるし、食堂もあるし、大きなお風呂もありました。夜は弁当が出るし、深夜食まで出ていました。会社に住んでいるような感覚でした。
マッチョな世界に身を委ね、ことばの世界にどっぷり浸かっていました。

と言うと格好良いのですが、校閲という仕事が自分には向いていないということは、すぐわかりました。何しろ、ジッと座っていられない。これ、最悪です。校閲という仕事は、基本的に10時間ほど原稿を読み続ける仕事です。自分の好みの小説を読むわけではありません。興味のない内容でも、読まなくてはなりません。興味がない原稿だと、眠くなってしまうのです。

日本語、知らないんですけど・・・

さらに、日本語についてまともな知識もなく、一般教養もない。なにしろ大学では、著名な国語学者・杉本つとむ先生の文法の授業は落第していますから。後年、杉本先生を取材した同僚が、そのことを話すと「校閲部長を落第させてしまったなんて、申し訳ないことをしました」と、先生に言わしめてしまったのです。いえいえ、申し訳ないのは僕の方です。

「新聞では使えない漢字がある」ということを知ったのも、会社に入ってからです。常用漢字表についても知りませんでした。他にもさまざまな表記のルールがありました。そうした表記を守ることが仕事だなんて窮屈すぎるし、仕事の意味を見いだすことが難しかったのです。

校閲は、誤字・脱字・衍字(余分な文字)だけでなく内容にいたるまで、文章をあらゆる角度から確認する仕事です。やはり教養が必要なのです。おかしいと思わなければ、スルーしてしまうからです。全てを一から調べていったら、印刷の締め切り時間に間に合いません。新聞は時間勝負です。高感度のアンテナがたくさんあれば、仕事はスムーズです。僕はそのスピードについていけない落ちこぼれでした。

一日中、新聞を読む日々 休みなんていらない

教養のなさをカバーするために、全国紙・4紙を毎日、隅々まで読むしかありませんでした。そんな生活が何十年も続きました。1紙を2時間かけて読んだとして4紙で8時間。会社には10時間以上いるので、1日の残りは6時間。寝る時間や食事の時間、通勤時間などを足すと1日24時間では足りません。何だか計算が合わない。でも一日中、新聞を手に持って暇さえあれば読んでいたことは確かです。

少し長い休みを取って家を空けると、玄関の前には山のように新聞が積まれています。そのため、休みの最後の一日は、新聞を読むために取っておかなくてはなりませんでした。読んでいくうちに、どの新聞に何が書いてあったのかもわからない状態になります。それでもただひたすら新聞を読む。休みなんてない方がいいくらいです。

「コラム書いてよ」。突然、軽いノリでオファーが!

やがて2000年ころから、漢字・日本語ブームが到来しました。たまに、ことばに関する特集・連載記事を担当するようになりました。すると、新設する編集部から突然「漢字のコラム書いてよ」と、ビックリするくらい軽いノリでオファーが来たのです。テーマは「漢字の字源」。学者でもないのに、そんなの無理でしょ!周りの部員は誰も手を上げません。校閲部員が定期的に原稿を書くなんて、それまでになかったことでした。こちらの不安をよそに企画はどんどん進みます。タイトルまで決まりすっかり外堀を埋められてしまいました。苦し紛れにダミーの原稿を渡したら、「これでいこう!」。
これで、毎週1本書くことになったのです。

突然、文章を読む立場から書く立場になってしまいました。戸惑う暇もなく、書かなくてはならない状況に追い込まれました。嫌でも、筆者・校閲者の立場から文章に向き合わざるを得なくなったのです。
3カ月もてば御の字と思っていたら、なぜかタイトルを変えながら7年も続いたのです。
漢字のコラムが終了すると、引き続き日本語に関するコラムやエッセイを書くことになりました。気がつけば、10年ほど毎週1本のコラムを書き続けていたのです。

入社当時、取材記者になりたかった夢が図らずも叶ってしまいました。「芸は身を助ける」とはいうものの、無芸大食の僕は、書くために必死に取材をし勉強する羽目になっていました。アウトプットのためのインプットを繰り返したのです。落第生でも勉強すれば、何とかなるものなんですね。

えー!今度は出版のオファー?

そして、僕のコラムを読んだある編集者から「文章を書くための本」を書いてほしいという依頼が来たのです。当初「それは僕の任ではない。論説委員か編集委員のスターライターに頼むべきだ」と断りました。そうしたら「校閲の視点で書いてほしい」と言われたのです。日頃、出稿部に原稿の疑問点を指摘する際に身に着けた文章のあれこれがあるはずだ、と。

確かに、出稿部のデスクに原稿の指摘をする際、文法やことばの用法などについて話をして理解してもらわなければならに場面も多かったのです。いつの間にかそうしたノウハウが頭の中にたまっていたのだと思います。書き始めたら次々湧き出てきました。それが2013年5月に出した『きっちり!恥ずかしくない!文章が書ける』(すばる舎/朝日文庫)でした。なんと、5万部超のヒットとなったのです。

編集者も悩む文章の書き方

それから数年後、その本を読んだ別の編集者から連絡がありました。「出版社に入ってずっと営業を担当していた。編集部門に異動したときに、預かった原稿をどう直していいのかわからず、手にした本が『きっちり…』だった」と。同様の本を書いてほしいとのことでした。
この時も「同じようなものを書いても」とお断りしました。ところが話をするうちに「出版社を目指した編集者でさえ、文章を書く際に苦労する。ましてや学生には相当負荷のかかるのではないのか」と思ったのです。

当時、大学生協主催の「エントリーシート(ES)の個別指導」をしていました。ESが書けず、就活の大きな壁となっている現実も見ていました。ならば、ESを題材に自己表現をするための文章をテーマにしよう、と書き下ろしたのが『マジ文章書けないんだけど』(大和書房)です。発売5年を経た2022年6月に、25刷10万5千部となるロングヒットになったのです。このメルマガのタイトル「マジ文アカデミー」も、この本から採ったものです。

2019年に未來交創という会社を立ち上げ、文章コンサルタントとして仕事を始めました。文章がうまく書けない(直せない)原因を探って、それを伝わる「情報」に変え、ストーリーをつくって提供する仕事です。
企業や自治体の広報紙・プレスリリースをはじめ、ホームページ、ネット広告、プレゼン資料の文章、ラブレターや別れの手紙などの依頼も頂戴しています。

文章を「情報」にしてストーリーを書く

noteでは「自己表現としてのことばと文章」について記していこうと思います。バーバルであれノンバーバルであれ、ことばは自分自身の存在そのものです。なぜなら、ことばを使って表現するということは、自分自身の思いを伝えることにほかならないからです。文章を「情報」にしてストーリーを書くことは、自分を見つめ直したり、これまでとは異なる考え方を発見したりする手立てにもなります。

偶然の流れが、落第生の僕をここに運んでくれました。だから「こうすれば文章がどんどんうまくなる」という類いのことは、書けません。
もともと読む立場だった僕自身が、つまずきながら、それでも十数年、新聞にコラムを書き続ける機会を与えられました。苦しみながらも、次第に文章を書くことが楽しくなってきたのです。

だからこそ、こんな僕がその時々、書くことについて悩んだり、迷ったり、考えたりしたことをお伝えしたいと思うのです。そしてみなさんと一緒にことばや文章について考える場になれば、と思っています。

どうぞよろしくお願い申し上げます。

2024年2月28日


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