等価交換
今夜もまた、発作が来た。
それほど重くはなかったけど今回のは吐き気もあった。
ほんとに唐突にくる。
今日はもやもやが晴れていいアイデアが浮かんだ日だったのに、どうして最後まで気持ちよく終わらせてくれないのか。
言いたいことはそんなことではなく、
私はハガレンが好きで「人生のバイブル」と言っているほどだ(それほど内容は覚えてないけど)。
そんなハガレン好きなら知っている「等価交換」という言葉。
何かを得るためには同等の対価が必要である。
たまに、いろんな場面でこの言葉を思い出してきた。
昨日、絵の下地を作りながら、ふと父のことを思った。病気の治療中である。
もし、本当に等価交換ができるのなら、私のパニック障害は治らなくていい、発作だって何度でもたえてやるから、父の病気を治してほしい。
と、泣きながら言いながら下地を作っていた。
下地を作るときはいろんなことを考える。
絵の構想、全然関係ない昔の話、苦しいこと、楽しいこと、頭の中を整理する時間になる。
昨日は、願いを込めていた。
父とは大人になってからやっとまともな関係になれたほどで、昔はなかなか好きではなかったし、怒らせたり、怒ったり、喧嘩したりしていた。
大人になってから和解とまではいかないが、なんとなくお互いを許せるタイミングがあって、ふつうにLINEする仲にまでなった。
父は、私と似ている。
特に性格が。
だからこそ、わかることがある。
強い口調や態度は弱さや不安の裏返しであること。
本当は体が弱いのに、「自分が頑張らなければ」と無理をしながら働いていたこと。
きっと不器用で頼り方がわからなくて、気づいたら怒るしかできなかったんだろう。
それに気付くことは思春期の私には難しくて、
それを伝えるのは仕事に前のめりな父には難しかったのだ。
以前帰省したときに父の薬棚から精神安定薬を見つけた。思えば昔からたくさん薬を飲んでいた。
なんで気づかなかったんだろう。
健康な人は毎日そんなにたくさん薬を飲まないのに。
これは憶測だが、もしかしたら父も私と似たような症状を持っていたのかもしれない。
だとしたら、今より理解の少ない昔で、生きにくかったことだろう。
そんな父が、がむしゃらに生きてきた父が、
病気で苦しむことは許せないのだ。
まだ私があなたに見せていない景色がたくさんあるから。
だから、もう一度言う。
神様でも仏様でもなんでもいい。
私は自分の病気と一生向き合っていけるから、
父の病気は治してくれ。
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