結局、無意識に求めているのは、母の愛。なのかもしれない。

数日前、人生最大のピンチがやってきた。

突然の緊急事態に私はアタフタしてしまった。仕事中だったので同僚に断りを入れて飛び出した。

珍しく、私用のスマホに着信。画面には夫の名前。仕事中に電話してくるなんて珍しいなー、とは思った。ふだんはLINEで連絡をとっているから。出てみると、夫の声ではない。知らない男の人の声。

ただごとではない、一瞬で身構えた。

そのままタクシー乗り場に向かう。そりゃそうだ、夫が救急搬送されてるんだから。


何を思ったのか、走りながら電話をかけていた。普段は自分からは全然連絡を取らないのに、指が勝手に実家の番号を押していた。今思うと、よく覚えてたなあと感心してしまう。いわゆる火事場の馬鹿力ってやつなのかしら。

呼び出し音が少し鳴った後に聞こえる母の声。それだけで安心した。

とりあえず状況だけ話した。私もなにもわかってない。緊急搬送されている事実と搬送先の病院以外、夫がどんな状況にあるのかまったくわからないのだ。

とりあえず病院に向かう。搬送先と言われた病院は幸いにも我が家と実家の間にある。場合によっては両親も来ると言ってくれた。

とにもかくにも病院に到着。案内された場所に向かうと、気弱そうに水を飲む夫がいた。

幸い命に別状はなく、そのまま一緒に帰った。服薬でなんとか治るらしい。


夫が無事に帰ってこれて何より。ちょっと落ち込んでいるので好きなメニューでも作ってみるとする。

ただ、今回の件で驚いているのは、非常事態において真っ先に母に助けを乞おうとした自分だ。

頻繁に母親と連絡をとるという友人がいる。私にはそれが信じられなかった。正直なところ、「そんなに話すことないでしょ?」とすら思っていた。家を出てから6年ほど経つが、あまり自分からは連絡をとった記憶がない。年末年始やお盆に顔出すタイミングを聞くくらいしかなかった。

高校時代、部活の合宿で毎晩泣きながら母親に電話する後輩を見てギョッとした記憶もある。


母親になんでも話す、という感覚は持ち合わせてない価値観だった。だからこそ、無意識ともいえる私の行動が意外に思えたのだ。娘という生き物は、なんだかんだで母の愛を求めているんだろうか。

10代20代でカッコつけていた私も、30代になってやっと丸くなったのかもしれない。もうちょっと素直に生きてみようかな、と思うのであった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?