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77回目の朝に

昨日は人類史上最悪の大量虐殺が起きた朝から77回目の朝でした。

平和教育の一環として行われてきた語り部のイベントですが高齢化する語り部の引退にその対策として地元の高校生達が自ら手を上げ、当時の話を語り部から聞き、その心まで丁寧に受け継いでバトンを渡していきたいと健気に語り継承していくというニュースなどを見聞きするようになりました。
後世に伝えることが難しくなってきています。

半世紀も生きていると価値観が変わっていくのを目のあたりにすることが増えてきます。
価値観がガラッと逆転することが多々あるのです。
私たちが子どもの頃はまだまだ戦争経験者も多くリアルな体験を耳にする事もおおかった。地理的に広島に近い県であったことで修学旅行先は広島厳島神社と平和記念公園でした。修学旅行から帰ってきた6年生から平和記念公園での展示物の衝撃について下級生達に伝播していき、兄弟がいる子は勿論のこと下級生達はその展示物を実際に見ることを好奇心から楽しみにしていました。実際に自分たちの目で見て、各々がその衝撃を次の子達に語る。というサイクルが出来あがっていました。
展示物はまだまだ生々しく、再現された人形はおどろおどろしいものでした。
一番衝撃だったのは影です。
銀行の玄関先にある石階段に腰掛けた方がその瞬間の閃光によって本人は跡形もなく消え去ったのに影だけはその石階段に焼き付けられた。姉からもその話を聞いていましたが実際に見ると痛ましく、怖かった。
遺物の展示もまだまだたくさんありました。
焼け焦げたお弁当箱、被爆した馬のホルマリン漬け。焼け焦げた再現人形の展示もまだありました。背中の皮がベロンと剥がれたまま垂れ下がって、指先からも融けた皮が垂れ下がり幽霊のような姿の母は、同じように焼け焦げた子どもを連れ焦土をさまよう。展示の真ん中にあった親子の人形を今も鮮明に覚えています。
確実に平和教育を受けた世代と言えると思います。
これが普通ではないのに気がついたのは大人になってからでした。
他県の学校では通りいっぺんの歴史を教えるのみで実際の被害についてあまり知らない人が多かったのです。まるで関心がない。
なるほど、当事者意識がなければ戦後20年30年もすればこうなるものか、と思いました。価値観が反転するのはその他にもたくさんあります。当時怖いもの見たさもあり爆発的に人気のあった「はだしのゲン」に対する評価も時と共に二転三転しました。
今はショッキング過ぎると図書館でも閉架という扱いになっているところもあるようです。
これ自体をいけないとかどうなのが、という話をしたいのではなく、そうなってしまうのだな。という感慨があるのみです。
正しければ残る訳ではなく歴史をみれば失われていった悲しい出来事、文化や技術もたくさんあるわけです。そうしたことのひとつになるのかも知れません。
風化という言葉はとてもわかりやすい。
風に晒され真意も伝わらなくなっていくのです。
ただ、生命が関わることならば皆で伝える努力によって教訓となり生き残るものもあると思います。「津波てんでんこ」はその執念が結実したもののようにも感じます。
津波が来たらその場で何があろうとそれぞれ逃げろ。それによって救われた生命もたくさんあるのです。

これは私の体験ではありませんが、広島で少しでも当時のことを軽んじるような言葉があると非難されることもあると聞いたことがあります。人によっては感情的になることもあるでしょう。それに対して温度差があることは仕方のないことです。当事者にすれば、つらかったことを知って欲しい。と思うのは当然です。責められません。ただ他県から来た人の中にはそのことを思いやれず温度差がある人もいる。
それは世の常でしょう。
必要なのは冷静に被害を訴え続けることだと思うのです。
そして、また当事者でなくても、知らないことでその訴えを退けることもまた良くない態度であると思うのです。済んだこと、ではないのです。

最低限、ある程度の被害について知っておくこと。
「唯一の被爆国」という冠を外してはならない。そう思っていても良いのではないかと思うのです。三度繰り返してはならない。どの国であろうとも。

幼い日、はだしのゲンを読み、皮膚が垂れ下がり、生きたままウジが湧くということに衝撃を受けました。
その事を改めて思いださせられたのは東海村臨界事故の被害者について詳細な記事を読んだ時です。
生命はあるのに皮膚を作る細胞が死に、皮膚を再生出来ず体液が出続ける。あまりの悲惨さにこれが放射線の恐ろしさだ、と改めて感じました。

別な意味で知らないというのは恐ろしい、と思ったのはある映画のクライマックスで中性子爆弾を海の彼方でバンとやればそれで済むと思っている描写を見たときです。
この程度の認識で核を持ち、マッチョをきどっているわけか、と悲しくなりました。

何かあればそれが落ちるのは無辜の民、つまり私たちの頭上になるのですから。

乖離は生まれていて、その間は広がっていく。止めることは出来ないけれど、静かに伝えていくことをやめてはならない。
そう思う朝でありました。

明後日には長崎で77回目の11時2分を迎えます。

#戦争  #平和 #原爆の日






ちょっと寂しいみんなに😢