節約の果てにあったもの
TwitterのTLを眺めていたら、白央さんがこんなことを仰っていた。
確かに、過去、節約はまだ美しい風習だった頃があったに違いない。
もう随分長く主婦が読むような雑誌に、テレビに定期的に節約の字が踊っていた。
新婚当初、1ヶ月で「この食事作りはこれから先、ずっとやり続けなければならないのだ」と絶望を味わった。そんなものはまだ可愛らしい。家族が増えていくと更に難易度が上がっていくシステムになっていた。栄養も節約も、もっと言えば教育も何だかやらなければならないマインドに私はスッカリ疲弊していた。根が真面目なのだ私は。
お肉は小分けにして冷凍し、義父の家庭菜園の野菜をフル活用、月○万に収めた。がだんだん成果のようになっていき、肝心なものを見失っていった。
最近は食いつくし系なる言葉があるそうな。父親が食材を子供の分まで食べてまうこと、だ。今から考えるに正しくコレで、何かに気を取られると全体が見えなくなるアタマの私は、こんなものなのだろう、とせっせと節約メニューを作って父親は小食の子供たちを尻目に大皿のお肉料理を貪っていた。
「あんた、節約はいいけど、子供たちが遠慮してご飯たべてるがね、わかっちょう?」
母に言われて咄嗟に「え?ちゃんと食べてると思うけど」そう言ったけれど、実はそろそろおかしいな、と思いはじめていた。
何度か目に余って「ちょっと子どもの食べるのなくなるから」と注意したのが気に入らなかったらしく機嫌が悪くなる、という感じで困っていた。やっとで気がつき始めたという訳だ。
「おかずは大皿じゃなくてちゃんとそれぞれのお皿にもりなさいよ」母に言われて気がついた。習慣になっていたけれど、節約術で大皿に盛る、という指南があって「面倒くさくなくていいな」位ではじめていたのだ。
「節約なんか今そこまでやらなくていいわね、子どもに沢山食べさせないと、あの子ら気をつかって食べてるがね、わからんかね」
思い当たる節があったから素直に「これはやばい」と気がついた。
食費を削ることくらいしか目立って節約できるところがなかった。全てにおいて私はヘタクソなのだ。
それからはエンゲル係数?は?何それ?くらいな勢いでお金をかけるようになった。人の顔色みてご飯食べるようなことをさせていたのかと思うと本当に申し訳なかった。
それからの私はリミッター解除とばかりにもりもり作った。
お肉の小分けなんかやめてしまい(この程度)買ってきたパックの肉は全部使うぞ(それでも恐る恐る)。
自分の作りたい料理を作って、見る顔色を父親から子どもにシフトした。
笑顔の増えた子どもたち。このお皿のおかずは自分のものという安心感があったのだろう(ごめんね)
本当に楽しかった。時々面倒だけど、色んな実験もしてお菓子もヘンテコな料理もスパイスにも凝ったりした。
お陰で子どもたちは食べることは大好きになったし、上の子は料理人を目指した(今はやめてしまったけれど)あの時母の忠告をきいて本当に良かったと思う。
節約をやってよかったことは、冷蔵庫にあるもので何か作る。という技が使えるようになったので悪くはなかったが、本当に家計に効果があったのか微妙だ。節約は楽しい範囲でやらないとつらいだけだと思う。
白央篤司さんの投稿に、そういう話にならないとダメだよなぁと共感した。最近は雑誌やテレビから離れているので実感がないが、未だにそんなのが流行っていることがおかしいのだ。効率化を叫んで、人に要求する割に節約しないと回らないような給料なのだ。時間の方が人間には必要だ。忙しい子育て世代は外注やお金を払ってのんびりした方が良いに決まっている。
私が節約に躍起になっていたのは20年も前のこと、未だに節約で何とかしようと特集をくんでしまう時代遅れ感は、あまりに思考停止だ。本来、節約と仕組みの刷新は別問題だ。節約よりも値上げの文脈や給料が上がるために何に注目するべきか特集するのがメディアの仕事と言うものだろう。
読者はあなた達思うほど物分り悪くない。
お前たちが望んでいるからだ。はもう古くないか?刷新せねば、冒険しなければ得られないものは必ずある。
そんな特集しか組めない雑誌やメディアは捨ててもいい。
節約の道を選ばず、楽しく作れる。喜んでくれる、にシフトして本当によかった。そして、料理が大好きな自分も豊かになり、食を通じて子どもたちとも共通言語のようなものも構築できた。
あのまま節約でギスギスしていたら、子どもたちとも良い関係は生まれなかったかもしれない。もちろんそれはひとつの要素に過ぎないけれど。
それはそうと仕組みを作る人たち、早く給料あげてくださいな。
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