見出し画像

「アンサング・シンデレラ」を観て生きることと死ぬことについて考えた

ついに明日9/24、ドラマ「アンサング・シンデレラ 病院薬剤師の処方箋」が最終回を迎えます。

日本の連ドラ史上初という病院薬剤師が主人公のこのドラマ。主人公・葵(石原さとみ)は勤務8年目の病院薬剤師。患者の「当たり前の日常」を取り戻すべく日々奔走します。そして葵の先輩薬剤師・瀬野(田中圭)は厳しくも温かく葵の仕事を見守ります。

原作は荒井ママレさんのコミック『アンサングシンデレラ 病院薬剤師 葵みどり』です(が、ドラマオリジナルの設定や物語が多いため別物として楽しんでいます)。

本作を観るまで、私は病院薬剤師という仕事の存在すら知りませんでした。医療ドラマではなかなかスポットが当たることのない薬剤師の仕事ですが、これを観れば、薬局で薬をもらうときにガラスの向こう側が気になってくるはずです。

さて、ドラマのご紹介はこの辺で。ここからは医療従事者でもなんでもないただの主婦が、瀬野のエピソードを中心に「生きること」と「死ぬこと」について考えたことを書き連ねていきたいと思います。

この先はドラマ10話までのネタバレを含みます。また、病気や死に関しての記述がありますのでご了承ください。

**

自分の最期を考えたことがありますか?

死生観という言葉があります。文字通り、生きることと死ぬことに対しての考え方を意味しますが、生きることはともかく「死ぬこと」に対する自分の考えはとてもぼんやりしていると感じています。

自分がどのような最期を迎えるかを考えたことがありますか?

私自身は20代後半で、小さな健康の不安はあれど、命に関わるような病気の経験はありません。また、典型的な核家族で育ってきたこともあり身近な人の死を経験したこともありません。

子供の頃に祖父母を亡くしていますが、遠く離れて生活をしていて1年に一度会えるかどうかでしたし、かなり高齢だったので「死=別れ」と理解するに留まっていました。

このような環境で生活をしていると、「自分もいつか死ぬ」という感覚がとても希薄になります。というよりも、無意識のうちに、死について考えることはあえて避けているかもしれません。

9/10に放送された「アンサング・シンデレラ」の9話では、ステージⅣの重複がんで余命3ヶ月と宣告された瀬野が、自分の生と死の間で揺れ動く描写がありました。また、瀬野は過去に自らと同じ重複がんを患った母親を看取っています。

そうやって、自分の身近な人の死や自分自身の余命を目の当たりにするまで、自分が死ぬことについて考える機会はそうないものだと思うのです。

生と死の距離感

瀬野は9話で担当医である畑中から病気の宣告を受けたとき、「がんの治療はせず、ギリギリまで仕事を続けたい」と話しました。

薬剤師として治療の難しさを理解しているからこそ、そして母親の苦しい最期を見ているからこその思いだったのでしょう。自分の限りある残りの時間を、治る可能性が低く苦しい治療よりも、今目の前にいる患者のために、そして自分にとってやりがいのある仕事のために使いたいと考えたのですね。

この時点で瀬野は自分の死を受容することに一歩踏み出しているように思います。しかし、葵が「生きることにしがみついてほしい」という言葉をかけたことにより、瀬野は抗がん剤による治療を受ける決意をすることになりました。「治療と薬のことは葵みどりに任せる」と葵に全てを託します。

このときの葵の台詞は医療者としてではなく、瀬野を敬愛する1人の後輩としての言葉です。大切な人の命の危機が迫っているときに、1分でも1秒でも長く生きてほしいと願ってしまうのは遺される者として自然なことのように思います。そして、葵の言葉によって瀬野自身が生きることに意識を向けたことも。

しかし、すでに死を受け容れることに踏み出していた瀬野の心は、この言葉に大きく揺れていたのではないでしょうか。

治療はせずに痛みを緩和して仕事を続けながら最期のときを待つのか、可能性は低くても治療を受けて命のリミットを引き延ばすのか。どのように死と向き合うべきなのか。どのように生きるべきなのか。何が最善なのか。本当にこれでいいのか

葵、そして私を含む視聴者の多くは、遺される者として、できるだけ瀬野の「死」を遠ざけ、少しでも長く生きる希望を見出だしたいと願っていました。

しかしながら、瀬野自身は迫る「死」を受け容れながらどのように生きるべきかを考え始めていたはずです。

この点で、葵(と視聴者)と瀬野の間にはズレがあったのだと思います。ここから瀬野の病や死ぬこと、そして生きることへの恐怖との孤独な闘いが始まっていました。

選択肢としての治験

9/17に放送された10話では、瀬野の抗がん剤治療が始まりますが、既存薬では改善の兆候が見られず副作用に苦しめられます。それでも葵や後輩たちの前では気丈に振る舞います。

(余談ですが、田中圭の憔悴していく芝居が生々しく、見ているこちらも苦しくなりましたね……。「おっさんずラブ」以降、元気印!みたいな役柄のイメージが強かったと思うので、こうした繊細な演技が見られてファンとしては嬉しい限りです。)

物語の鍵を握るのは、瀬野の症例に適合する海外で有効性が確認されている治験薬

治験実施までの手順としてドラマで描かれていたのは、

①製薬会社からの治験の依頼
➁医師や薬剤師による治験の実施計画等の準備
③第三者を含む治験審査委員会の承認
④患者の同意取得

でした。実際にはもう少しステークホルダーが多いのではと思いますが、さまざまなステップを経てようやく実施となるのですね。

葵が治験薬のことを瀬野に初めて伝えたとき、瀬野は即座に断りました。葵はなんとか瀬野を説得しようとしますが、治験が非現実的で厳しいものだということを薬剤師である瀬野はもちろん理解しているのです。さらに、瀬野は自分の母親が治験薬を使っても助からなかった過去に、今の自分を重ねていました。

葵もこのとき苦悩していたと思います。薬剤師としても、後輩としても、瀬野を助けたい。その気持ちが先行して取り乱しているようにも見えました。瀬野が葵に対して「お前のやり方なんてどうだっていい。お前がしたいことじゃなくて、患者がしてほしいことをやれよ」と諭しますが、まさにその壁にぶつかっています。

ここで葵の先輩である刈谷が「患者の選択肢を増やすため」と治験を行う意図を確認した上で助け舟を出します。最終的に選択をするのは患者である瀬野自身ですが、薬剤師ができるのは出来うる限りの選択肢を示すこと。ここからは薬剤部の仲間たちが一丸となっていきました。

そして、治験の実現のハードルは高かったものの、葵や薬剤部の仲間たち、医師、看護師たちが一丸となって治験の実現に向けて準備を進め、何とか治験審査委員会の承認を得たのでした。

「生きていることが辛い」

選択肢として用意された治験という道。緩和ケアのみに切り替えるにしろ、治験にエントリーするにしろ、最終的に選択するのは患者である瀬野です。

薬剤部の仲間たちの説得もあり、一旦は治験の実施に同意した瀬野ですが、いよいよ投与開始となる日に病院を抜け出してしまいます。そして母親の墓前に立ち、葵の前でようやく、ひとりで抱えてきた自身の治療の辛さや生と死の間で揺れる恐怖を吐露することになります。

「ただ単純に辛い」
「生きていることが辛い」
「助かるかも分からないのに、治療する意味があるのか」

絞り出すように発されたこの台詞一つひとつが、先の見えない病を抱える人たちの本音なのだと感じました。そういう辛さを抱える人に、安易に「頑張って生きて」なんて言えません。

これに対して葵は「ここからがスタート」と言います。この瀬野の苦悩の吐露によって、葵は傍観者や観察者の立場から、瀬野の生と死の課題に共に没入することが出来たのだと思います。だからこそ、葵の「もっと頼ってほしい」の台詞が瀬野に届いたのでしょう。

ここ数日、若松英輔の『生きる哲学』を読んでいたのですが、神谷美恵子の『生きがいについて』からの引用が目に留まりました。この10話のシーンを観ていなかったら、スルーしていたかもしれません。

 平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえむつかしいかも知れないが、世のなかには、毎朝目がさめるとその目ざめるということがいうことがおそろしくてたまらないひとがあちこちにいる。ああ今日もまた一日を生きて行かなければならないのだという考えに打ちのめされ、起き出す力も出て来ないひとたちである。
(神谷美恵子『生きがいについて』)

まさに瀬野の心境そのものでした。また、次のような記述があります。

 病を見てはならない。病に苦しむ人間を見なくてはならない。病は存在しない。いるのはその十字架を背負う人間だけである。苦しみは存在しない。あるのは苦しむ人である。悲しみは存在しない。存在するのは悲しむ一個の魂である。
 苦しみも悲しみも、きわまった人は、他者にそれを伝えることすらできなくなる。それほどに苦しみは深まり、悲しみは苛む。だが、苦しみを真に感じるのは、もう一つの苦しむ心である。悲しみを本当に慰め得るのもまた、悲しみである。
(若松英輔『生きる哲学』)

最終的に瀬野は治験を受け入れ、葵はその傍に寄り添うことになりました。

その結末はどうなったのか?葵は瀬野の悲しみや苦しみの、もう一つとなることができたのか?最終回ではどう描かれるのか、非常に気になります。

いよいよ最終回へ

10話は瀬野の治験開始から2年後の薬剤部のシーンで幕切れとなりました。葵と瀬野は……不在!?しかも薬剤部はバラバラになった?どういうこと?瀬野の安否は??と疑問が尽きません。

心して最終回を待ちたいと思います。

(なお、ここまで物語の考察に徹するため極力我慢してきましたが、本当はお墓の前で苦しげに涙を浮かべて言葉を発する田中圭の芝居が最高だったとかだんだん儚げになって小さくなっていくように見える田中圭がすさまじかったとかそういうことも言いたかったけど長くなりすぎた。)

もしよかったら「スキ」をぽちっとしていただけると励みになります(アカウントをお持ちでなくても押せます)。 いただいたサポートは他の方へのサポート、もしくはちょっと頑張りたいときのおやつ代にさせていただきます。