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自分の町が欲しい、という感覚

自分の町が欲しい。少し奮発して買った3000円の紅茶の入った缶を握りしめて、28歳のわたしは思った。

それはどこぞの首長になりたいとか、シムシティ的なまちづくりゲームをしたいとかではもちろんなくて、ただ自分が「属している」と思える町が欲しい、という願望だった。


大学進学を機に上京してきてから約8年の間に、わたしは5回以上引っ越しをしてきた。最初の1回を除き、常にマンションの契約更新前に新たな暮らしを求めて動いた。生まれ故郷にもなじめず、上京しても同じところに留まっていられないわたしは、さながら根無し草のようだった。

誰にも知られずにやってきて、誰にも知られずに住民票を置き、誰にも知られずに住民票を抜く。東京という乾いた場所では近所の誰とも親しくなる機会はなかったし、それが気楽で、好きだった。


そのとき住んでいたのは、大きなターミナル駅がそびえ立つ大都会だった。下町エリアやローカルな町に住んでいたときでも地域との関わりはなかったので、ましてやこんな場所に住んで人と交わることは絶対にないだろうと思っていた。

フリーランスの情報発信者として活動するわたしは、一日中カフェや自宅でデスクワークをしている。もともとの体質もあり、根を詰めると首肩こりや腰痛で動けなくなってしまうことも多かった。

最近家の近くにできたばかりで、気になっているマッサージ店があった。ネットから予約を入れる。行ってみると、両親とわたしのちょうど間くらいの年齢の女性スタッフが迎えてくれた。

「左を向いて座る癖がありませんか?」
「ああ、あります。つい向いてしまうんですよね……」

わたしが答えると、女性は笑って言った。

「それなら、ときどき右を向いて座ってあげましょうね」

わたしは驚いた。てっきり、「左を向く変な癖を直して、まっすぐ座るように努めてください」と言われると思っていたから。

そうか、左を向いてしまうなら、同じくらい右も向くように意識すればいいのだ。わたしはいつもなにかを「してしまった」と自分を責めてばかりだったけど、「べつの行動でチャラにする」という方法もあるのだということに気づいて、なんだかうれしくなった。


施術中、いろいろな話をした。わたしが学生向けの情報発信で生計を立てていると知ると、女性は「すごい! 今度姪っ子に教えます」と言ってくれた。そのときは、感じの良い営業トークだと思っていた。

でも、数カ月後にまたその店を訪れたときにも、お会計の際にその女性が出てきて(わたしの施術中はべつのお客さんの対応中だった)、「YouTube観ましたよ! すごいですね」と言ってくれた。ほかの従業員の方にも話していたらしく、レジ横で数人のスタッフがうんうんとうなずく。ありがとうございます、と恐縮しながら店を出た。


その次に行ったのは、そのマッサージ店の上階のカフェだった。そのお店はちょっと変わったつくりになっていて、1階がマッサージ店、店内の階段でつながった2階が同じ運営元によるカフェになっているのだった。身体の調子はまだよかったので、今回はカフェだけ訪ねることにした。

こぢんまりとした店内の端にあるテーブル席に着くと、あの女性が出てきて「あら、来てくださったんですね!」と笑顔になった。マッサージ師の方々はカフェ店員も兼ねているらしい。わたしは彼女が顔を覚えてくれていたことがうれしかった。顔を覚えられてうれしいと感じたのは、上京して初めてのことだった。

わたしがランチのプレートを食べ終わると、女性は「これ、余りですけどよかったらどうぞ」と言って、ふわふわのシフォンケーキをサービスしてくれた。さらにおかわりの紅茶まで持ってきてくださり、「ここにポットを置いておきますから、どうぞ飲んでくださいね」とまで言ってくれた。

わたしは「すみません、そんなにしていただいて……」と恐縮しながら、紅茶とシフォンケーキをありがたくいただいた。

そのまま帰るのも申し訳なくて、おすすめを訊いて缶入りの紅茶の茶葉を買った。ブレンドによって味や香りがまったく違うらしく、説明を聞いているとおもしろかった。春茶・秋茶というのがあるのも初めて知った。帰って淹れるのが楽しみだ。

「もし子どもたち向けのイベントをやるときがあったら、ここを使っていただいても大丈夫ですよ。狭いですが」

帰り際、女性はそう言ってくれた。そんなことまで言っていただけると思っていなかったし、カルテがなくてもわたしの仕事を覚えてくれていたのがうれしくて、わたしは「ありがとうございます、ぜひ」と心からお礼を言った。


ああ、わたしがこの町に暮らしていたということを、知ってくれている人がいる。心がじんわり温かくなった。じつはこのときすでに、わたしはこの町を出ていくことが決まっていた。同棲していた恋人の関係が行き詰まり、数カ月以内にお互い出て行くことになったのだった。

自分の住む町の人ときちんと関わったのは、それが初めてだった。わたしは、そういうのもいいな、と思った。そして次に住むところは、きちんと「自分の町」と呼べるようになりたいと初めて思った。


30歳になったわたしはいま、新しい住まいで生活している。そこは内見のために駅のホームに降りた瞬間から、「わたしはこの町が好きだ」と直感的にわかった。担当してくれた不動産屋さんのおじさんともふしぎと馬が合い(そんなことも初めてだった)、とんとん拍子にお気に入りの部屋が見つかったのだった。

いまの町は、素朴で、ほどよくきれいで、ほどよく汚くて、個人経営の素敵なお店がたくさんあって、とても居心地がいい。たまたま入った飲み屋さんで、地元のお客さんや店員さんと仲良くなることもある。わたしは初めて、自分の町を見つけることができたのだと思う。

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