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2021年をふりかえる会1Q中間レポート

久しぶりにnoteに投稿する。

別に何かあったわけではないけども。定期的にここ数ヵ月こんな気分だったなーとか書きなぐっていきたい。

さて、独り暮らしをしていて恋人などもいないと『今日はこんなことあったんだ!』とか『今こういう気分なんだ!』とか『こういうことを発見したんだ!』とか『いい曲ができたんだ!』なんて毎日ありふれた感動を口に出して伝える相手がいないため、独り言防止のためにnoteに書いている感じである。

ここ最近は在宅よりも出社が多く、他の担当製品のお手伝い的なことをしている。とはいえ、自分の身にもなる仕事なのでありがたい。

今振り替えると、昨年のテレワーク真っ盛りのころ、自分はもしかして鬱ぎみだったのか?と思う。

ポジティブだよねとしか言われなかった自分がずっとネガティブだった。

いや、自分はそもそもネガティブな人間だけど、ネガティブすぎてポジティブになっていた気もする。

自己分析的なことをすると、自分がやたら外から前向きに見えるのには結構理由がはっきりしていて、僕は実は口に出さないだけで最悪の場合をすごく考えてしまう。

こうなったらどうしよう。。とか、このパターンはこうなるかも。。とか、あらゆる最悪なパターンを想定する癖がある。

逆にいうと、この最悪なパターンの解決策がシュミレーションできるまで内で悩みまくっている。

このパターンになったらこうしよう。
もし相手がこう言ってきたらこうしよう。

とか全パターン考えるからポジティブになっている節がある。

ただ、長年これをやっていると途中で気づくのである。

『あれ、結局僕の悩みは相手のことがわかってないことに帰着するぞ?』
と、

もっというと、勝手に相手はこう言ってくるかもしれない。。とか、こう思ってたらどうしよう。。だなんて事を考えているのである。

これは、相手のことがわかってないのが原因であり、ちゃんと自分はこう思っている。とか、こうしてほしい。とか、どう考えてますか?という相手に聞けば大体解決することなのだ。

多分抱え込んで勝手に萎えちらかすやつはこのタイプだと思う。

相手も自分と同じ人間なので、ちゃんと自分のことを理解してもらおうとして、相手にわかって貰おうとすれば大したことないやん!ってなる場合が多い。

まぁ何が言いたいかというと、勝手に相手の人格を作り上げて悩み散らかすのはアホらしいってことやね。

。。。というのを去年のどこかで思ったのを今日唐突に思い出した。

この話をするとき僕は小説に例えるのだが、主人公はもちろん自分だ。

小説の主人公って、心情が事細かにかかれていたり、読み取れる場合が多いけど、脇役はセリフしかでてこないから察することしかできないじゃないですか?

ようは自分もこうなってない?ってことなんですよ。

こっちが相手の人格決めつけて勝手に悩んでない?ってことなんですよ。

相手からしたら、自分は脇役で心情をあらわす()なんて見えてないわけで、『 』しか可視化されないわけで、相手の立場に立てばまぁ『 』で表現するのが優しさよねって話である。
※『』は小説にでてくるセリフの鉤括弧、( )は主人公の心情がセリフになってるやつのいめーじ

なので、20何年間生きてきたが大抵の僕の悩みは
『まぁ相手に聞けば早いよね』
で解決する。

変に気取らず、わからないことはわからない。自分はこう思ってる。なんて思われても自分はこう思ってるという意思表示は大事なのだ。

正直社会に出る前は、わからないことがあれば自力で調べたり考えて解決することが癖になってしまっていた。

社会にでると調べてもわからんし、考えても解決しないことが増えたので人に聞くことが増えた。

人に聞くだけで人生は楽になるし、相手も『なんやこいつこんなこともわからんの?』とか『そんなこときいてくんじゃねぇよ』なんて言う人はいないし、嫌な顔どころか楽しそうに教えてくれる人が多い。

小学生とか中学生の、なんか勉強できるやつは質問しないみたいな風潮がよくなかったと勝手に思ってる。
というより、予備校とか言ってるやつは質問することがなく、先生に質問する習慣なんてつかないのがあかんかったなと。

わからんことは分かるまで聞くってのが学校で学ぶべきことやったんやなーって思ったのであった。

今季の振り返りをするつもりが、去年の振り返りをしてしまった。

中間報告としてのまとめは、僕は今とても元気でやっているよ!ってことでした!

ではでは。

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