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‪⿻‬この曲記念日‪⿻1896.5.20

今日はドイツのピアニストクララ・シューマンが亡くなった日です。

クララ・ヨゼフィーネ・シューマン(1819-1896)
3つのロマンスより 第3曲 Op.11-3

クララ・シューマンは、作曲家ロベルト・シューマンの奥さんで、彼女自身もピアニストであり作曲家でありました。

クララを語る上で、ロベルト・シューマンとヨハネス・ブラームスは外せません。

クララは父親の指南で幼少期から天才ピアニスト少女として名を馳せていました。
9歳にはプロデビュー。当時のオーストリア皇帝やゲーテ、そしてショパンからも大絶賛を受けており、ヨーロッパじゅうで話題となっていたようです。同年、父親の元にピアノを習いに来たロベルト・シューマンと出会います。
ロベルトはクララの9歳年上で、ピアニストとしてはまだ無名でした。そんな身分の違いから、クララは父親からロベルトとの交際を強く反対されていました。1840年、ロベルトとクララが起こした父親への裁判を経て、結婚を叶えたのです。(その3年後には父親と和解しているようです)

精神を病んで自殺未遂をしてしまうロベルトですが、クララは最期まで献身的に彼を支え、彼女自身は1歳で亡くした長男も含め8人の子を授かって育て上げました。

ブラームスはそんなロベルトの弟子。ロベルトのことを心から尊敬し、クララのことを想っていたとも言われています。
ロベルトも信頼をおいており、家族同然の関係性だったのではないでしょうか。
未亡人となったクララのことを精神的にも支えていました。誠実な人柄と信頼関係が見えます。

作曲家としても幼少期から才能を発揮していましたが、当時女性が作曲家になることは認められておらず、女性というだけで正当に曲を評価してもらえなかった時代。彼女も37歳頃に作曲活動をやめ、ピアニスト・ピアノ教師としてのみ活動していくようになります。
クララ、この時代に生まれてくれたらなあ…なんて思ってしまいます。

彼女の作品からは、ロベルト・シューマンの作品からも感じられる和声感があり、(恋人ロベルトの影響か、当時のドイツ音楽の風潮か…)
そこに女性特有の柔らかさの加わった作品が多いように感じます。
1839年、ロベルトとの結婚直前に作られたこの曲もロマンスの優しさが溢れた一曲になっています。

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