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究極の利己だけが、純粋な利他になる

当記事は『引き寄せの正しい理解がある人』を前提としています

第一章:自分が自分のためにする、何がわるいの?

ドブスピリチュアル(ドブとドブスをかけた造語)では、ことあるごとに『利己的に生きてはならん、自己愛を捨てよ』『自分のために行動するな』と説きますよね。

はっきり言います、悪質なミスリードです!!

利他とは『完全に見返りを求めず相手に尽くす』という意味ですよね。

では・・・人は どんな時に利他的な行為ができる と思いますか?

他人に親切にして、お礼も言わずに去られてもニコニコしていられますか?

手を貸したのに『余計なお世話なんだけど』と突っぱねられて、私が間違ってましたごめんなさい〜と言えますか?

いくらお裾分けをしても一切『お返し』をしてこず、ヘラヘラ貰うばかりの人を良く思えますか?

感謝されたい、優しい人だと褒められたい、懐が深い、波動が高いと認められたい、いい人だと言われたい、報われたい・・・

これのどこが利他的なんでしょうか?

そもそも『親切にしよう・優しくしてあげよう』という態度それ自体が、上から目線・承認欲求・自己陶酔でギラついてると思いませんか。

『支払いありきの親切の先出し』なら、それはリタテキと書かれた伝票(レシート)にほかなりません。

完全に見返りを求めない行為って何でしょうか?

『自分が自分のためにする行い』だけです

当たり前なんですけどね。

私が食べたくてパン食べてるだけなのに『偉い!』『すごい!』『お礼にこれあげます!』とか言われたらおかしいじゃないですか。

食べてる私をみて、別の人も食べたくなる宣伝効果はあるかもしれません。食べこぼしをゲットした鳩もラッキーかもしれません。

でも、私はパン屋・鳩・通行人に対して、一切『見返り』を要求しません。当たり前ですよね(要求したらおかしいw)

これが『本当の利他』なんです

本音本心の行動にたいして、自動的に引き寄せが発動して、結果的に他者も豊かになる。

その共鳴・連鎖反応は『勝手に起きてること』なので、『へえ、よかったね』とは思っても、『どうだい私のおかげだろ!?』とは思わない。

自分が自分のためにすることだけが、見返りを求めない。

究極の利己だけが、純粋な利他となりえます

第二章:間違った利己の解釈について

  • 本音本心から生じていない想い

  • 恐怖心に裏づけられた防衛反応

  • 不安を軸としたこじれた信念体型

  • 上記を由来とする暴力行為や迷惑行為

⬆︎実はこれ利己的じゃないんです

心の底にいつも恐怖があり、常にビビっている。ビビってるからこそ他人に免罪を求めたり、逆に攻撃して支配したり、裁こうとする。

そのためなら自己も犠牲にするし、なんなら他人も犠牲にする。

親切心めいた下心の押し売り、御礼の強要、無自覚な取引、優劣争い、承認欲求、シェアの奪いあい、同調圧力、バズ中毒、謎のルール&ペナルティ。

自分が縛られている縄で、相手もグルグル巻きにしなくちゃ気が済まない。他人を傷つけ、自分も傷つけ、傷をなめあい、巻き込み、えぐりあう。

自分のためじゃない、相手のためでもない。もう誰の意志もそこにはない。

ただ『みんなの目』『みんなの声』というパラノイア が蠢き、不安に締めつけられ、場当たり的な反応を起こすだけ。

そういうのは、利己でも利他でもない。
名づけるなら 利無的 という状態です。

自他を傷つけるのは利無的な振る舞い

利無は『脊髄反射的な恐怖反応』であり、己の意志ではありません。己がないのだから、利"己"的であるはずがないのです。

本当に利己なら『他人の迷惑をかえりみず』『迷惑を承知であえてやる』なんてことしません。だってワリに合わないから。

なんでいちいち『クレームのリスク』を負わなきゃならないんでしょう?

ほんの少しでも想像力があるならば、自分のしたいこと、相手への影響を天秤にかけて、メリットデメリットどちらが大きいかくらい当たり前に考えますよね?

たとえ譲れない問題だとしても、アフターフォローや折り合いのポイントを用意しますよね?

それができないのは、本音本心から生じる想いではないからです。自分自身に無関心だから他人にも無関心。主体性や意志はなく、ただ恐怖反応が一人歩きしているだけ。

これら『利無的な振る舞い』を『利己』だと勘違いしているドブスピが非常に多いので困ったものです。

利己を捨てるなんてとんでもない

利他至上主義では、『害悪なので自己愛を捨てろ』と脅してきますが、そんなのは『引き寄せのスタート地点を潰せ』というのと同じ。クレイジーです。

利己と利無の区別もつかず、自己愛すらも混同している時点でスピリチュアルでも何でもない。言葉の定義・認識が曖昧だから、言葉を使いこなせずケガをするのです。

『精神的自立を目指す教え』で『己を失わせて』どうするというのでしょうか。主体性ゼロで『空座となった脳』に教祖として君臨したいのでしょうか。

自然界には利己しかありません

太陽、大地、風、川、木々、草花、菌類、虫、魚、小動物〜大型動物。

だれも他者の為になど生きていません。取引もしません。皆それぞれ、各々に、自分の為に、ただ精一杯生きています。

その結果としてある『大自然』は醜いですか? メチャクチャですか?
違いますよね、信じられないほど豊かで美しい。

答えははじめから、そこにあります。

どうぞ、安心して利己的であってください。

ただし『恐怖から弾き出された利無・ハンパな利己』ではなく、あくまで本音本心に基づく『究極の利己』であってください。

ご自愛くださいませ。

いかがでしたでしょうか?

エゴの定義 第二章:自由意志エゴを取りもどせ』でも触れたことですが、今回は、利己利他だけをクローズアップして再編集しました。

ここを間違えてるドブスピは本当に多いんです。いつもニコニコ無償奉仕の自己犠牲。ブラック企業ウハウハの奴隷マインド。

チャネリング系が特に多いですね。アシュタールだのサクヤ姫だの、神ぶってる低級霊にそそのかされてるか、本人の知性が低いせいで正しく読み取れていないか。どちらかでしょう。

スピリチュアルで最も重要なのは『主体性』

物事の本質は、何をするかではなく『何故するか』にあります。

イイ人ぶりたいなら、それでいいんです。

『私はイイ人ぶりたくて手をかしたんだい。下心があるんだ〜い!!』という 自覚 があれば、それもいいのです。

「私は波動が高いので、困ってる人を見過ごせないんですドゥフフ」みたいな 欺瞞 は利無ですので、引き寄せが発動しなくなるか、どんどん貧しくなる引き寄せが発動してしまいます。

名を告げぬヒーローは面倒くさいから告げないだけ

『せめてお名前だけでも・・・』
『いえ、名乗るほどのものではありません』

漫画で王道のやりとりですが、これは格好つけて名を告げないのではありません。

  • あくまで自分のためにやったこと

  • あなたが『勝手に』救われただけ

  • だから気にしないで

  • 取引するつもりはない

  • 上下関係をつくりたくない

  • ヒーローに祭り上げられたら困る

という 牽制・ご遠慮 なのです。

 英語でいえば No problem & No thank you.

『過剰な御礼』というのも 利無的な振る舞い なので、ねじれた想念に巻き込まれたくないだけなんですよ。

御礼とかかれた伝票(レシート)に化ける可能性もありますからね。

自分が自分のためにする。ただそれだけの利己をやたらと美化して、紛い物の利他として崇拝すると『利無』に陥ります。

恩返しがしたいなら、自分も同じように利己的に振る舞って『恩送り』すればいいのです。自然体、自然に巡る、見返りのない愛。

それこそが、純粋な利他となるのです。

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