見出し画像

優しさの地域差を言語化してみました

少し前に投稿した記事を書いている途中で、書きたくなった思考です。
その時の記事の主題ではなかったので、別記事にしました。

地域性について語ります。
僕は、学者ではありませんので、僕の経験値を語るだけです。


◆僕の知る地域

1.故郷

岩手県宮古市で、18年間過ごした感覚を語ります。
38年前以上昔の記憶です。

2.関東

東京都下、埼玉県、茨城県、神奈川県に、合計すると約30年間暮らしていました。

3.尾張

愛知県春日井市に越してきて、約8年間が経ちました。
妻のゆかりちゃんが、春日井市に隣接する岐阜県多治見市出身なので、東濃地方の影響も受けていると思います。

4.関西(大阪かも)

僕は、正しく書くと、関西(大阪)のことは知りません。
住んだことがないのです。
僕の抱いている関西(大阪)のイメージを語ります。


◆優しさ

今回、比較検討するテーマは『優しさ』です。

1.故郷の『優しさ』

岩手県宮古市の優しさは、さりげない優しさが基本です。
優しい気持ちはあっても、それを上手に言葉にできない人が多いのが特徴。
優しい行ないを下手に行なってしまうと、スタンドプレイと解釈され、評価が下がります。

スタンドプレイとは
①スポーツなどで、観衆の拍手喝采を狙ってする派手なプレー
②自分を強く印象づけるための、目立つ行為

僕の田舎には、優しい言葉をカジュアルに言うという文化がなく、優しい言葉を言おうとすると照れくさくなりました。
同じように、優しい行為をパッとできない鈍臭どんくささがあります。ごく自然に優しい行動ができる洗練さの、真逆です。

優しい行為をすることは、例えば、『愛の告白』と勘違いされるかも的な、大事おおごとに感じるのです。(事例ではなく比喩です)

また、そういう不器用さが好まれる文化もあります。
特に、男性には顕著に見られる特徴です。

これは、高倉健さんの「不器用ですから」のせいです。

もともと宮古市の男どもにあった不器用さ。
(妻や家族には、どうも感謝の言葉を言えない。思ってはいるのだが…)
そんな鈍臭い男どもに、免罪符を与えてしまったのです。

「おれ、そういうの、不器用だから」と言う男どもの心の中は、
(オレって、かっこいい)だったのです。


岩手県宮古市では、皆が不器用なので、その前提で、言動が解釈されます。「お礼を言ってくれなかった」ではなく、「お礼の気持ちはあったハズで、それを言うのは気恥ずかしかったのだろう」というような、感じです。

そんなこんなで、岩手県宮古市では、優しさを言葉や行動に出す場合、かなり繊細な配慮が必要になります。
スタンドプレイと解釈されない配慮です。

さり気なく、優しくするのです。

2.関東の『優しさ』

例えば、関東の人は、駅で迷っている人に声を掛けることはありません。
道を聞かれたなら、決して邪険にしませんが、自分から「お困りですか?」と声を掛ける人は、ごく少数でしょう。

これは、東京と大阪の違いとして有名ですよね。

東京の人が、他人にそこまで優しくしないのは、万が一の「怖さ」があるからな気がします。念の為、関わらないで済まそう、みたいな。

東京とは、日本全国各地から人が集まっているという事実があります。
東京は、オラが村ではないのです。仲間意識が持てなくて当然です。

結果、関東の『優しさ』は、ほっといてあげる、という優しさです。

言葉を変えれば、その人の言動や思考を尊重しよう、という優しさなのです。

(道を聞きたければ聞いてくるだろう。
 聞いてこないのは、自分で探したいとか、聞くのが恥ずかしいとか、
 何か思いがあるのだろう)

という、そんな前提があると思います。

こう考えると、よく知らない人の【恐怖】には近づかなくて済みますので、一石二鳥です。

3.関西(大阪)の『優しさ』

大阪のお姉さん(大阪にはオバサンはいません)は、メッチャ優しいと思います。もちろん男性も優しいと思います。

「困っているみたいやから、ほっとけん」みたいな。
飴ちゃんも、くれますしね。

お笑い、ジョークには、めちゃくちゃ厳しそうですが。

たぶん、素直なのだと思います。
心に素直。

あと、

「おもろい」が正義で、
「おもろい」はカッコ良くて、
笑いは、善で最高で、

という関西(大阪)の文化が、優しさに影響している気がします。

関東では、
「素直に笑う」とか、少しカッコ悪いじゃん
と思う人が、一定数いる気がします。洗練さが足りない的な考え方です。

関西(大阪)の人は、
「そういう小賢しいのって、逆に、カッコ悪いわ!」って思いそう。

「あ、困ってんのかな」「どうしました?」

という素直な行為は、普通なんだと思います。

「ああ、人を待っているだけなので、別に困ってないです」

と、勘違いだったとしても、それを面白おかしく語っちゃうネタにできる。その人への返しも、

「そうやったん。あんた、めっちゃキョロキョロしてたから、てっきり道が分からん思ったわ~。違ったんなら良かった良かった。ほな、気~いつけてなぁ~」

てなもんでしょう。
関東は、違います。

「ああ、人を待っているだけなので、別に困ってないです」

「あ、そ、そうでしたか~。何かスミマセン。ごめんなさいね」

って、狼狽うろたえてしまいます。

関西(大阪)の方の『優しさ』は、素直な優しさです。
ほっとけないのです。
お節介なのです。あえて悪く言うと。

で、きっと、「お節介でエエやん」という下地があるのでしょう。

以上、関西(大阪)に住んだことのない僕の、妄想でした。

4.尾張の『優しさ』

この地域の方々は、関西の方(特に大阪のお姉さん)のように、優しくはありません。この地域の優しさは、結果的には、関東と同じ感じかな。

ほっといてあげる、という優しさです。

でも、尾張の人の場合は、下地にあるのは関東人の「知らない人への怖さ」ではなく、

「それして(僕に)、何の得があるん?」があると思います。

経済合理性の観念が、無意識に働いているのです。

その結果、
全店舗とは言いませんが、尾張地域のお店のサービスはハイレベルです。
この地域では、お客さんを「上」と考えています。マジです。つまり、サービス提供者は「下」なのです。下僕的です。

悪い面は、威張りすぎるお客がチョイチョイ出没します。また、それを威張っているとか恥ずかしいとか思わないんですよね。
そういう威張り散らすお客に鍛えられてしまうので、多くのお店では、おもてなしレベルのサービスが実施されるのです。

友人関係の優しさは、ごく親しい、家族レベルの付き合いをしている友人にだけ発揮されます。
それ以外の友人には、経済合理性を含めた優しさになります。

「アイツと一緒だと楽しい」も、これもメリットなので経済合理性に適っていて、優しくしてもらえます。

でも、親友や家族には、無条件の優しさを発揮します。損をしてでも優しくしてくれます。経済合理性の壁を越える優しさです。

「アイツと一緒だと楽しい」という友達は、損を被ったら距離を置かれるでしょう。

そういう意味では、この地域に越してきて親友を作るのって、排他的な岩手県宮古市以上に困難です。
知人ではなく親友と認めてもらえるハードルが、尾張地方では、家族レベルと同義語なのですから。

ちなみに、排他的な岩手県宮古市ですが、家族には冷たく振舞います。
家族は大事って当たり前なのだから、ことさら大事にしなくて良い、みたいな不文律があるのです。
家族を大事にする発言よりも、家族をあえて下げる発言の方が100倍発せられます。
なので、意外と大事な親友になるのは、岩手県宮古市の場合、時間と手間さえ惜しまなければ、そう難しくありません。

で、尾張地方は、その程度では家族レベルには扱ってもらえません。
メリットを提供し続けて仲良く何年も交流しても、それはメリットがあるゆえのお付き合いかもしれないのです。家族レベルの仲間とは別物です。

幼なじみだとか、前世での縁なのか、何かがないと親友にはなれないですね。
あ、でもこれは、どこの地域の誰でもそうかな?

僕が言いたかったのは、
尾張人の優しさとは、家族と親友にこそ発揮される、ということです。

広く発揮されない分、家族や親友には、濃厚な優しさが注がれます。
イメージは、狼の優しさですね。
狼って、家族にだけメッチャ優しいイメージがあります。あれです。


ちなみに僕は、
まだ、ゆかりちゃんの【経済合理性の壁】を越えていません。

メリットを提示しないと、優しくしてはもらえないのです。
稼がないと。
もしくはイケメンになるか。
でらオモシロイことを言うか。
ゆかりちゃんを褒めまくるか。
マッサージをしてあげるか。
メッチャ優しさを注ぎ続けるか。

メリットは大事なのです。


◆〆

この記事にエビデンスはありません。
僕の感想を書きました。

僕は、ゆかりちゃんが大好きです。






おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1298話です


コメントしていただけると、めっちゃ嬉しいです!😆 サポートしていただけると、凄く励みになります!😆