ブサ簡【プロローグ】「童貞のまま死ぬことを、心から怖れ寂しかった15の夜」
※kindle 本の『挿絵』を描いてくださるイラストレーターさんを募集します
※もちろん、お仕事として、キチンと『報酬』をお支払いいたします
※かるいタッチが希望です
※クラレコが第1希望です
※6冊出しますし、表紙にも検討させていただきます
『いいかい、タケルくん』というkindle 本を出します。
サブタイトルは、
『ブサイクで21年間彼女ナシの僕が「彼女なんて簡単にできる!」と、そう言い切れる理由』です。
専用のブログサイトを作りました。
このサイトの【プロローグ】を書き上げました。
その初稿になります。
◆未体験は「夢」でさえ見れないのか
あの頃の僕は、
「僕はSEXすることなく、死ぬのかな…」
と、ときどき考えて、これが1番の恐怖でした。
死んでも死にきれないだろうなぁと、そう思っていました。
そんな高校生時代に、僕はこんな夢を見たのです。
僕は、けっこう年上の美人女性の、アパートにいます。
女性が僕に、アレを教えてくれるのです。
「いいんですか?」と僕は聞きます。
「そんなこと、女に聞いちゃ、ダ・メ・よ♡」
「え?」
「ふふふ、いいわよ、来て」
2人が重なります。
・・・。
僕は仰向けになっています。
美人女性は僕の横です。
僕の右の肩に女性は頬をつけ、手は、僕の胸の上です。
2人とも全裸のままと、なんとなく分かっています。
ことは済んでいるのです。
映画のように省略されました。
が、
ことが済んだ満足感を、僕はしみじみと感じています。
(男になったんだ…)
(風俗じゃない…)
(僕は、男になったんだ…)
アパートの外階段の音がします。
「あの人が帰ってきたわ、どうしよう」
え、男がいるの?と一瞬思います。
が、「カンカン」と聞こえますから猶予がまったくありません。
「僕に、ふわっと布団をかけて」と僕は言って、うつぶせになって顔を横にします。
僕は体重50キロそこそこのガリガリでしたので、そのようにフワッと掛布団をかけると、親や姉弟も、誰もいないと思うほどなのです。
いたずらをして、良く驚かしたものです。
作戦は、気づかなかったならそれで良し。
万が一気づかれたら、男が剥ぐその掛布団と同時に、掛布団にくっついて起き上って、そして走って逃げる。
それしか方法は無い。
そこまでを0.2秒で考えました。
ガチャ
「ん、なんだ寝ていたのか」
「ん?」
「・・・」
「誰だ?」
ダメだったか。バレてしまったか。
「オイッ!」
布団に手がかかった、今だ!
ガバッ!
夢ではなく現実の僕が、実際に立ち上がって2歩、歩きました。
目の前は、押入れのふすまでした。
後日、クラスメイトに語った時は、「ふすまに激突した」と盛って話しましたが、ちっともウケませんでした。
こんな夢を見るほど、僕は拗らせていたのです。
経験していないことは、たとえ夢でも見られないのだと知りました。
美人のお姉さんの手のひらの感触が、僕の胸にリアルに残っています。
なのに、
あんなことやそんなことをしたはずなのに、それらの感触や映像は皆無なのです。すごく残念で、損をした気分でした。
このブログサイト記事は、
高校1年生の僕に、54歳の僕が、
彼女ができてしまう男子になる、
そのための、ものの見方や考え方などを教える、
という記事です。
以下は、
幼少期から中学3年生までの僕の、『女の子』や『女子』にまつわる記憶を、ざざ~っと簡単に書きまして、その認識を共有したいと思います。
要は、僕が、どんな子供だったのかを簡単に語ります。
◆幼くても、本能なのか?
たしか、小学2年生の時のことです。
近所の、1つ年下の双子の女の子が遊びに来ました。
その子たちのお兄ちゃんと僕のお姉ちゃんが同級生で、母親同士が仲良しだったのです。
その双子の女の子たちとは一緒に、しょっちゅう遊んでいました。
その日は、いわゆる『お医者さんごっこ』のような遊びになりました。
女の子たちが、あそこを見せてくれたのです。
そもそもの事の始まりは、「見せてあげる」と、誘われた気がします。
大きい段ボール箱があって、その段ボール箱に隠れるようにして、いかがわしい行為が行われたました。
詳しいことは憶えていませんが、自制できなかった記憶がハッキリと残っています。
ふすま1枚へだてた茶の間では、母親たちがいるのですから、
(バレたらお母ちゃんに怒られる)と思いました。
でも、もう少し見せてほしいと思う自分を、抑えられなかった記憶があります。
(怒られてもイイ)と、幼い僕は、腹を括った感じでした。
記憶は、以上です。
僕は、すごくスケベだったのか、マセていたのか、ただ単に健全だったのか。
比較対象がないので、なんとも判断ができません。
◆勝手に脳内ランキング
また、小学2年生の記憶です。
僕は、クラスメイトの女子を勝手に吟味して、自分の脳内でカワイイ子順のランキングを作っていました。
ランキングとはいっても、せいぜい3位くらいまでです。
(1番カワイイのは、あの子だなぁ、あ、いや、あの子かも)と、定期的にトップ2かトップ3まで、頭の中で入れ替えて楽しんでいたのです。
キレイ系のすみれちゃんと、カワイイ系のともちゃんは、何度も1位と2位が入れ替わりました。
ところが、3年生になると、脳内ランキングが消えました!
圧倒的にカワイイ、ゆう子ちゃんと出会ったからです。
これが、僕の『初恋』かもしれません。
僕は、カワイイゆう子ちゃんが好きすぎて、ついチョッカイを出してしまいます。
周りから「好きなんだ~」「好きだからそうするんだろ~」と冷やかされ、
「そんなことないよ、だって○○だもん」
と、○○のところは何を言ったのか憶えていませんが、大好きなゆう子ちゃんを泣かせてしまいました。
きっと、ゆう子ちゃんを傷つける何かを、僕は言ってしまったのです。
僕は最低なクソガキでした。
◆ド田舎の小学校に転校
小学3年生の2学期に、市内中心部の小学校から、市の北の外れの小学校に転向しました。
田舎町の、北の端っこのド田舎の小学校は、クラス = 学年 でした。
しかも、同級生はたったの20人!
でも、奇跡的に、とても美しいマドンナがいました。
今、思い出してみても、全国クラスでも通用する美人です。
田舎の小学校ですから、その女子の美しさは完全に他を圧勝していました。
ライバルなど存在していません。
僕の脳内ランキング機能は、停止したままです。作動の必要がないのです。
男子全員が、その女子を好きだろうと、漠然と思っていました。
まだ、そこまで色気づいていなかった年頃で、男子同士で遊ぶのが1番楽しい時代でした。
そのマドンナのことも、「1番カワイイ」「圧倒的にカワイイ」とは思うものの、大好きという感情ではなかったのです。
好きは好きでした。僕は面食いでした。
◆修学旅行の写真に大ショック
廊下に張り出された写真を見ました。
僕は、小学6年生です。
写真に写る僕は、
黒縁メガネで、
猫背で、
顔が前に出ていて、
口がいつもポカンと開いていて、
タラコくちびるで、
メガネであまり分かりませんが、一重まぶたの腫れぼったい目をしていて、
背が小さくて、
ガリガリで、
それは、背の小さい大村崑 でした。
僕にはそう見えたのです。
あなたは、きっと「大村崑さん」を知りませんね。
ぜひ、インターネット検索して、画像を確認していただきたいです。
オロナミンCのポスターの大村崑さんです。
昭和50年代。今から40数年前です。
東北の田舎町の、さらにド田舎です。
カメラを持っている家庭は、ごく少数でした。
僕は、僕のイメージする僕ではなかったのです。
僕は、僕の姿を知らなかったのです。
2つ上の姉が「私はブスだ」とよく言っていましたが、そんな観点で、自分を見たり考えたりしたことが僕にはありませんでした。
なので、姉の言うことには、まったく理解も納得もできませんでした。
僕は、「僕はカッコイイ」と当たり前のように、漠然とそう思っていたのです。
それが、
オレって、ブサイクだ、
気持ち悪い、
姉ちゃんの言うとおりだ、
と、変わってしまった瞬間でした。
◆中学生になって、僕は岩清水宏的な生き方を選択
『愛と誠』というマンガがあります。
このマンガは名作です。夢中になって読みました。
主人公は太賀誠。
実に、カッコいいのです。
でも、僕は、太賀誠にはなれっこありません。
中学生の僕には、そういう哀しい自覚がありました。
そこで僕が憧れたのは、僕でもなれそうな『岩清水弘』です。
顔や運動神経ではなく、心で勝負する男です。
「早乙女愛よ。この岩清水弘。きみのためなら死ねる!」
カッコイイ!
と、思いました。
ヒロインの早乙女愛は、太賀誠を愛しています。
岩清水弘も、それを察します。
悔しいし、辛いし、切ないのですが、愛する人のためです。
岩清水弘は、それで良いと思い定めます。
これは、ブサイクな男の生きる、唯一の道じゃないか。
たとえ、その愛が報われなくても…、
それでも、その愛は尊く、そして本物だ。
◆僕は、恋に恋をしました
中学2年生の時です。
1学年上の、1番カワイイ先輩に、僕は勝手に恋をします。
たまたまそのすぐに、その先輩には彼氏ができました。
僕は、告白もしてもいないのに勝手にフラれて、勝手に落ち込みました。
それから約1年間、学校では、基本、誰とも口をききませんでした。
必要最低限のことしか話さないのです。
失意のどん底の『主人公』を演じたのです。(もちろん当時は無意識です)
失恋した僕が、落ち込んでいないのはオカシイのです。
僕は、失意のどん底にいるべきなのです。
そして、
引っ込みがつかなくなりました。
やめ時が、わかりませんでした。
僕は生来、理屈っぽくて面倒くさい思考や言動をする男子でしたので、同級生男子に、完全に放っとかれました。
「どうしたんだ? 元気ないな」
「ほっといてくれ」
「いやいや、放っとけないよ。何があったんだ?」
「実はカクカクシカジカで、オレは…、失恋したんだよ」
「そうかぁ~。でも、女は他にもいるんだ、元気出していこうぜ」
というような、復活に必要な儀式が、いつまで経っても来ないのです。
いや、
1度、1番やさしいミッチ君が、
「どうしたんだ? 元気ないな」と、たずねてくれたんです。
僕が、「ほっといてくれ」と言ったなら、
「おお、そ、そうっかぁ」
と、ミッチ君は、すぐに引っ込んでしまいました。
あと、あと1押し、・・・して欲しかった。
この結果、僕は、演技のやめ時を失います。
高校進学が、とにかく待ち遠しかった。
高校進学は、僕にとって『リセット』の時でした。
高校に進学さえしてしまえば、もう、この失意の主人公は演じなくてイイのです!
僕は、アホです。
アホでした。
=== ここまでを、コピペして推敲してサイトに投稿します ===
ブログサイト『いいかい、タケルくん』の
【プロローグ】↓
◆高校進学以降も、拗らせは続く
高校生入学以降の拗らせ体験談は、今後の記事で徐々に語ることになります。
尚、
「1番カワイイ」などの表現が、今後も出てくると思います。
これは、客観的にという意味ではありません。
当時の僕の、主観、好み、独断と偏見、それら100%のランキング結果です。
毎回、注釈を書き加えるのも大変ですので、ここでまとめて説明させていただきます。
さて、
こんなにも拗らせ切った僕が、なぜ、25歳以降は女に困らなくなったのか?
不思議ですよね。
その転機には、何があったのか。
もちろん、
このブログサイトは、そこを丁寧に説明し、メッチャ丁寧に解説しますので、どうかご期待ください。
ちなみに、このブログサイトやkindleの、ターゲットと考えている読者は、
中学生~20代くらいまでの、拗らせ男子、です。
一応、拗らせ男子を言語化しますと、
「僕には彼女なんてできっこない」
「僕は彼女なんて要らない」
という思考を、頑ななまでに保持しようとする、
その思考を、変えようとしない、
そういう男子、
となります。
ペルソナは、高校1年生の「僕」です。
あの時の僕に刺さればイイ!
◆〆
僕は、僕のミッションとクレドを作ろうと思います。
昔、管理職だったとき、部門のミッションを掲げたなら、すごく良かったんです。業績に結果が出ましたし、明らかにチームの士気やムードが良くなったのです。
1ヶ月か2ヶ月、うんうん唸って作ったミッションでした。
個人事業主であっても、このミッションやクレドの効果を使うべきだと思いいたりました。
作ったなら、記事にします。
昨日のゆかりちゃんは、メッチャ優しかったです。
僕に、かなり気を使ってくれました。
うれしい。
僕はそんなゆかりちゃんが大好きなんです。
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