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初恋の『好き』は、菊池桃子さんと杉本彩さんを経由して『大好き』となり、でも『愛している』とは違う、という結論

3日連続で『好き』という感情を考えてみます。
たぶん、今日で結論が出ます。
ひと筆書きします。乱文ご容赦くださいませ。

◆前提

前提①

ここで語る『好き』は、恋愛の『好き』です。

前提②

『好き』を考えるといっても、他人ひとの心は分からないので、僕の心を探ってみます。

前提③

僕は、『好き』と『愛する』を、明確に区別しています。


◆おとといの思考

  1. 好きとは、「このメスがほしい」という本能?

  2. 所有欲の場合もありそう

  3. 承認欲求の場合もあると思う


◆昨日の思考

  1. 恋に恋する場合がある(厳密には『相手が好き』とは異なる)

  2. 『好き』の多くは、『承認欲求、所有欲、独占欲』と言えそう

  3. 真の初恋の『好き』は、『好き』以外の言葉が見つからない


◆僕の初恋

なぜ、真の初恋の『好き』は、『好き』以外の言葉が見つからない のでしょうか。
ここを考えてみます。

僕の、真の初恋は高校1年生のときでした。
相手はクラスメイトのミホちゃん。完全にひとめぼれです。

ひとめぼれですから、要は、僕は顔が好きだったわけです。
笑顔がとても好きでした。メッチャ可愛い笑顔なんです。

僕が知っている(感じた)ミホちゃんの性格は、
・とにかく明るい
・でも、出しゃばるタイプではない
という2つです。


◆この初恋の『好き』は何なのだろうか?

この初恋の『好き』は、何なのでしょうか?

信じられないほど美しい宝石を見つけた、そんな気持ち?
ならば、所有したかったのかな?
独占したかった?

いや……、僕は、ひとめぼれすると同時にあきらめていました。

大好きすぎて、即、その瞬間にあきらめていました。

憧れ?
アイドル化した?
「眺めているだけで満足」と思った?

あ、嫌われたくなかったんだ。
『好かれたい』という欲求が一瞬で消えて、『好かれる』なんてそんなのはムリだと思って、『せめて嫌われたくない』と目標を下方修正したんだ!

ミホちゃんへの想い。僕にとってのミホちゃん。
神に近いなぁ。まるで神様みたいだ~。

ミホちゃんの言うことなら、ほぼ何でも聞いただろうなぁ。

これは、イメージや想像を好きになっている、と言えるのかな?
でも、恋に恋しているのではないなぁ。だって、あきらめているのだから。


高校生の頃、菊池桃子さんや杉本彩さんを好きだったけど、あの気持ちと似ているかもしれない。
2人を足して2で割ったようだったなぁ。
やさしげなのは菊池桃子さんに似ていて、少し色気ががあったのは杉本彩さんに似ていた。

僕は、たとえどんなに美人でも冷たくされると即キライになる若者だったが、ミホちゃんなら例外だった可能性があるなぁ。

あ、僕はミホちゃんを嫌いたくないから、嫌いになりたくないから、だから近づかなかったのかな?
少し、これ、あり得るなぁ。


※若かりし頃の菊池桃子さん


※若かりし頃の杉本彩さん(左の杉本彩さんが好きでした)


◆1度目の結婚

初恋に似ているのは、1度目の結婚ですねぇ。

同じく、ほぼひとめぼれだった。
浅香唯さんに似た、僕の好みのド真ん中の女性だったのです。

僕が水戸支社の責任者のときに出会いました。
運命の出会いだと確信しました。脳天からつま先まで電流が走ったのです。

このときは初恋と違って、僕はあきらめませんでした。
幸い、彼女をつくれる男に変わっていましたし、直属の上司という最高の環境でもあったのです。

猛アタックして交際。
2年後に結婚。

出会いから数えて11年目。

『大好き』が、なんと、冷めてしまったのです。
翌年離婚しました。


◆もしも

もしも、ミホちゃんと結婚したなら同じだったのだろうか?
何年か後に、僕の『大好き』は、やはり冷めてしまったのだろうか?

同じだった可能性がある。
違った可能性もある。

分からない…。

仮説

結婚しない初恋とは、

【自分の想いが冷めることのないうちに別れたり、あるいはそもそもお付き合いすることがなかったりして、美化されたまま】

なのではないか。

大好きな異性のままで、なんなら美化されたままだからいまだに1番好き。

逆に、結婚したなら何年か後には高確率で『冷める』、そういう想いなのではないか?


◆『好き』と『愛する』は別

僕は、『好き』と『愛する』を区別しています。これは大前提です。

その上で僕の結論です。

結論

真の初恋の『好き』は、『大好き』です!

『大好き』以外に言語化できません。
そして、この『大好き』は、『愛している』『愛する』とは、まったく違います!

もう1度結論

真の初恋の『好き』は『大好き』だが、相手を愛してはいない。

『大好き』という、自分の気持ちを愛している。

もちろん、相手を『愛そう』としているだろうし、ちゃんと『愛している』人もいると思います。
しかし、初恋で、『大好き』で、かつ『愛している』という人は、ものすごく少数なはず。

たいていは、『大好き』という自分の気持ちを愛しているのです。

福山雅治さんが結婚して「哀しい」と泣く女性は、自分の『大好き』が叶わなかったから、届かなかったから、破れたから涙している。
真に福山雅治さんを『愛している』人は、「幸せになってください」と、ごく自然に祈ったのではないでしょうか。

自分の『大好き』を愛するのが間違っているとか、そんなことを言うつもりはありません。
相手を『大好き』なのと『愛している』のとは似て非なるもの、とそう言いたいのです。


◆〆

僕は、子猫を「愛おしい」と思うように、妻のゆかりちゃんが愛おしいです。可愛いのです。
天然が最高に可愛い。

そして僕は、ゆかりちゃんを愛しています。
少なくとも間違いなく、愛そうと努力しています。

僕は、ゆかりちゃんが大好きです。



おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第645話です

◆おとといの記事


◆昨日の記事


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