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無意識の”見下し”ではないだろうか?

映画『天使のくれた時間』と、邦画の『最高の人生の見つけ方』を観ました。

僕の感じた共通点は、

お金や、名声や、権力・地位、などでは幸せにはなれない

というメッセージでした。


それは、裏返せば、

富や名声を求める人生は間違っている

というメッセージです。


富を得て、世間の評価も獲得した。そういう人物には、学びや気づきのあるテーマでしょう。

しかし、そのような人は少数派です。


大衆映画なのに、なぜ?


多くの、平凡な暮らしをしている人たち。
多くの、努力より不努力に流される人たち。
多くの、人生に明確なビジョンのない人たち。

多くの人たちが、富や名声を得た人を揶揄やゆしかねない。
成功者の努力を、否定しかねない。

不努力な自分を、
「それでイイの。金持ちになっても幸せにはなれないのだから」
と、慰めかねない。

確かに、
富と幸せは別です。

ならば、
一般人 = 幸せ、でもありません。


この映画を作った方は? 


人の何十倍も努力した人でしょう。
なのに何故?

「こういう描写が大衆にはウケる」という計算?
そうならば、そこには、

無意識の”見下し”があるのでは?


僕ならば、努力のキッカケを提供したい。

共感は求めません。
理解はしてほしい、そう思っています。




(499文字)(ルビは文字数から引きました)


今回の記事は、山根あきらさんの企画へ参加させていただきました。


この企画を知ったのはミイコさんの記事のおかげです。


つい長文になってしまう僕にとって、すごく学びのある企画でした。
ありがとうございます。
妻のゆかりちゃんも喜んでいると思います。
ゆかりちゃんは、僕の長文を読むのが苦痛なのです。


また、いわば名作にケチをつけているかのような本音なので、普段なら書かない内容でした。
「どのクチが言う?」って、僕が僕にツッコミを入れています。

すごく良い映画だったのです。

その素晴らしい映画にケチを付けるなんて、そんなケチは”鼻クソ”です。
誰でも付けることができますし、何にでも付きます。

弁解を書きますと、上記は、映画の感想記事ではありません。
レビュー記事でもありません。

映画を観終わって、ふと思考しました。
妄想です。
その妄想を忘れないようにメモしただけです。


毎度、唐突ですが、
僕は、ゆかりちゃんが大好きです。





おしまい


※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第867話です

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