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それを「愛してる」って、なんか違くね?【その2】

ある歌の歌詞です。
その歌詞に異を唱えます。なので、誰の何という曲かは明かせません。

内容はそのままで、でも、歌詞を変えて紹介します。

僕が言い出して、君と別れた 
あの日から数日が経過した
今僕は、ものすごく後悔している
ひとりが辛い
今の僕なら、君と上手くやれると思う 
でも「好き」と言えない フラれそうで怖い
「すれ違いも、きっと試練だったんだ」と思う
でも、そんなこと言えない
言えないけど、君のことばかり考えている
もう、僕が君を好きということは事実になっている
いや、「好き」を通り越して、今ではもう「愛してる」
このことを、君を失った数日間で、僕は知った

この歌詞では、【好き】がより強くなると【愛している】に変わる、という間違った認識があると思います。

【好き】がより強くなったら、【大好き】になります。
それは「愛している」とは言えません。

それが「愛している」と言えるならば、ストーカーは追いかけている対象者を「愛している」ことになっちゃいます。
そんな表現は、正しい日本語ではありません。
ストーカーは対象者を「好き」かもしれませんが、愛してなんかいません。

好きの、最上位の表現を「愛している」とする人って、けっこういると思います。というか、若い頃の僕もそうでした。

愛は動詞です。

名詞ではありません。
(受け売りです。たしか『7つの習慣』だったはず)

愛とは、
待つことであり
耐えることであり
信じることであり
そっとしてあげることであり
身を引くことであり
叱ることであり
庇うことであり
守ることであり
聴くことであり
他にもたくさんあります。とにかく、行動が伴います


欲しくてたまらなかった一眼レフカメラ。
1年間コツコツ貯金して、やっと購入。
これは、【一眼レフカメラが大好き】です。

購入してから、
常に持ち歩き、写真をたくさん撮り、手入れを怠らず、いつも丁寧にあつかって、かれこれ10年。
これは、【この一眼レフカメラを愛している】と言えます。

でも、
購入してから、数ヶ月で厭きてしまい、ほとんど使わない。
写真はスマホで撮る。
あれからもう10年。
この場合は、【彼は一眼レフカメラに惚れて、好きになり購入したが、そのカメラを愛することはなかった】となります。


僕は何が言いたいのか。

好きと、愛するは、違う

と言いたいのです。

その3 に続きます。



おしまい


※一眼レフカメラの喩えは、
『幸せになる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教えII』からの引用です
※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1366話です
※僕は、妻のゆかりちゃんが大好きです
※この記事は、過去記事の書き直しです


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