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それを「愛してる」って、なんか違くね?【その3-最終話】
結論から書きます。
「愛する」とは、覚悟であり決断です。
「愛している」と「大好き」は、イコールではありません。
例え話で説明します。
僕は石田ゆり子さんが大好きです。(大好きだとします)
素敵な笑顔に惹かれています。
2人は、相思相愛となって、交際しました。(交際したとします)
デートを重ね、半同棲生活をするようになりました。
すると僕には、石田ゆり子さんの嫌いな面が見えるようになってしまったのです。(なってしまったとします)
ケンカすることが多くなり、僕は、だんだん石田さんの欠点が許せなくなりました。
そして、僕は、石田さんと別れることを決めたのです。(決めたとします)
これは、簡単に言うなら、
「好きになったから交際して、嫌いになったから別れた」
ということです。
この交際期間中にも、愛っぽい想いや行動があったことでしょう。
交際前に、彼女が風邪をひいたと聞いて、ず~っと心配して夜も眠れなかったとか。
同棲中なら、家事と看病とを献身的に行なったとか、そんなこともあったかもしれませんね。
「大好きだから、心底丁寧に接した」とか、
「自分の大切な彼女だ。だから大切にした」とも言えます。
つまり、
自分を大切にしている、とも言えるのです。
大好きな車を買って、
いつも眺め、
磨き、
ドライブに出かけ、
大切に、ガレージで保管する。
その愛車が、追突されて、大きく凹む。
怒りはMAX。
そして、
①新車に変えてもらう交渉を行なった
②修理し直ったが、事故車という事が気に入らず、別な車に買い替えた
③丁寧に修理し、それ以降も大切にして乗り続ける
①と②は、無傷なお気に入りの車が「好きだった」だけです。
「愛している」とは言えません。
「愛している」と言えるのは③だけです。
①と②は、車ではなく「その車を所有する自分」を愛しています。
自分が好きなだけです。
人間は誰しも、長所と短所を持っています。
その人の「長所だけが好き」というのは、愛とは呼べません。
愛とは、短所も欠点も、許し受け入れる覚悟のことを言います。
「この人だけを女性として愛する」と、決断することです。
別れて、他の女性とやり直すという選択を断つことです。
離婚して、別な女性(ゆかりちゃん)と再婚した僕の最初の結婚は、
「そのとき好きな女性と婚姻届けを出した」という行為でしかありません。
その女性を「愛した」ワケではないのです。当時は、愛しているつもりでしたが。
3回に分けて、愛について語ってきました。
「愛する」
「愛している」
と、
みんな軽く言いすぎです。
それ、愛と違います。
「好き」なだけでしょ。
愛を誓った夫婦がたくさん離婚しているじゃないですか。
離婚しちゃダメ、とか、そんなことが言いたいのではありません。
「愛」と「好き」をごっちゃにしすぎ!
と言いたいのです。
「I love you」
を
「愛している」
と訳すの、やめましょう。
「I love you」は「大好き」と訳しましょう。
僕は、ゆかりちゃんに「愛されているなぁ」と感じます。
僕の短所も欠点も知った上で、ゆかりちゃんは僕を大切にしてくれています。僕とず~っと生きてゆくのだと覚悟(あきらめ)もしていると感じます。
僕も、ゆかりちゃんを愛しているつもりです。
でも、「愛した」と言えるか否かは、僕に死が近づかないと自分では判断できません。
ゆかりちゃんが「愛されているなぁ」と感じていたなら良いのですが…。
例えば、ストーカーが、
「愛している」とか
「オレ以上に君を愛しているヤツなんていない」とか言っても、
無意味で迷惑で、逆に気持ち悪いだけですよね。
愛しているか否かは、
愛される側しか評価(判断)できない
と、僕は思います。
愛する側は、「○年間愛した」と、過去の評価ならできます。
「これからず~っと君を愛します」という、宣言もできます。
でも、
愛する側の「愛している」は、かなり怪しいと、僕は思います。
パートナーは、愛の不足を感じているかもしれません。愛のズレや的外れを感じている場合も多いでしょうし…。
とにかくです。
「愛」と「好き」は似て非なるモノなので、ごっちゃにしないでください。
以上です。
僕は、ゆかりちゃんが大好きです。
おしまい
※この記事は、エッセイ『妻に捧げる3650話』の第1368話です
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