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愛すべきポルトガル


南部です。


私は大の旅行好きで、パスポートの全てのページに最低一個はスタンプが押されるほどには旅行好きなのだが、中でも大好きな国の一つがポルトガルだ。

母親とポルトガルとスペインを訪れた際に、私は「国に恋をする」という感覚を、ポルトガルではじめておぼえた。

ポルトガルはスペインの西に位置し、お隣スペインと比べるとさほど大きな国ではないのだが、地域によって全く違う表情と文化を持つ国だ。
そして何より人が優しく、ご飯が美味しすぎる。
まじで美味しすぎる。
スーパーで読めないポルトガル語のパッケージに載った写真を頼りに買ったお菓子がめちゃくちゃ美味しかったのでひとつ。

こちら、調べたらovos moles(オヴォシュ・モレーシュ)という名前なんですって。
卵黄をたっぷりつかったカスタードのようなものが薄い最中に入っている。とっても濃厚で優しい甘さが忘れられない。。ああ食べたい、ポルトガル名物エッグタルトよりもこちらのほうが個人的に好きでした。


その後私は、ポルトガルへの恋心を抱いたままイギリスへ進学。幼なじみであり親友であるカズちゃん(女の子だけど、カズ)も同じタイミングでイギリスの別地域に住んでいたので、ポルトガルで久しぶりに落ちあおうということにした。
私はカズに熱烈スピーチをして、ポルトガル旅が決まったのだ。当時イギリスはEU加盟国でしたので、イギリスからサクサクとポルトガルへ入国。

カズは地元でも有名な猛者なのだが、ポルトガルで合流するや否や彼女のパスポートには入国スタンプが押されていなかった。
「人の波について行ったら空港の外へ出た」
と言うのだ。
帰り揉めるんじゃない?大丈夫?と心配したが、とりあえず帰りの空港で心配しようということでとりあえず滞在を楽しむことにした。(無事イギリスへ帰国できてました、ほんと謎)

ポルトガルはまずリスボンへ。
ついた時間が遅く、私たちはとりあえずマクドナルドへ向かった。
「きいて!!!!!店員さんね!!!!ポテト両手で渡してくれたの!!!」と感動するカズ。たしかに、欧州でそのサービスはすごい。

そして私たちは翌日、大好きな街、ナザレへ。
ナザレは世界でも有名なサーフスポットで、世界一の波に乗ったサーファーのギネス記録もここナザレで樹立されている。

私たちは予約していたホテルへ向かうと、鍵が施錠されていた。
急いで電話するも繋がらない。すると、地元民がワラワラとでてきて、ホテルの担当者に電話をしてくれた。

「あーなんかね、今起きたらしいわ」

…ああもう、この国はなんて素敵なんだ。
時刻はお昼どき。今起きたらしきホステルの支配人。
私たちは目の前の海で時間を潰すことにした。

パスポートやお財布などの貴重品を全て持って、大きな荷物は置いて海へ繰り出した。(ぜっっっっっっったいに真似しないでね)

そして海で、世界一のサーフスポットでサーフィンをしてみることにした。
43回ほど死にかけて、もう水恐怖症になってしまう寸前で私たちは海から妖怪のように這い出て、海辺でワインを飲んだ。

ナザレの丘の上の教会で撮った写真


そして時刻は15時頃。そろそろ支配人さんも着いただろうと、ホテルへ戻ってみることにした。
すると、ホテルの前で、私のめちゃくちゃストリートな上着を膝掛けにして近所のおばあちゃんがお昼寝していた。
手には私がお土産に購入したエッグタルトのゴミが握られていた。食べられたっぽいw

「?????」

おばあちゃんは私たちに気づいて目をあけると、
「あんたたち!荷物置いてどこうろついてたんだ!」おそらくそのようなことをポルトガル語で言って怒っている。おばあちゃんごめんね。おっしゃる通りです。貴重品は持ってたからとか関係ないよね、ごめんなさい。何度も謝ってお礼を言った。

そして私たちを呼ぶ声がして振り向くと、近所のおじさんが大量のタッパーを持って立っていた。
せっかく旅行に来たのに宿に入れない私たちが居た堪れなくて、自宅にあった食べ物を持ってきてくれたのだ。

タッパーの中にはポルトガルの海鮮をふんだんに使ったスープやパスタが入っていた。
私たちは自然と涙をこぼした。

カズはイギリスのオックスフォードでいじわるなホストファミリーにあたり、散々な目に遭っていた。
私はリバプールでひとりの日本人として、当時のへったくそな英語でなんとか生き延びていた。

優しい味とひとの優しさに、涙が溢れ出た。謎の東洋人の女がふたり、おいおい言いながらタッパーからご飯を食べた。

お借りしたタッパーをホステルで洗って、Google翻訳でポルトガル語でお礼のお手紙を書いて中に入れた。

写真残ってた!

また行きたいなあ

終焉

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