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A.O.とあたらしいひと

窓を開けると金木犀の風が入ってきた。秋の香りに包まれて、私は昨夜、A.O.を聞き返していた。この曲の録音をしたのは2018年の5月18日。その後、聞き返すこともなく今年の2月に「発見」し、作品化した。

ささやかな声とピアノの響きは、録音後、記憶に残らなかった。こういうときに発している響きこそ、私がその時の自分に必要だったと感じて、急ぎ作品として発表することにした。そしてちょうどその頃、その時の私は気づいていなかったけれど、お腹には新しい命が宿った。

A.O.が完成したあと、私は突然、大掃除がしたくなって、片付けの本を読み、自分の持ち物の総点検をした。そこにはなにか、鬼気迫るものがあり、これまでであればとっておいただろうものも、ずいぶんと処分した。その時、体は予感していたのだと思う。新しい人がやってくるということを。私は、そのときは、新作のアルバムリリースが私を駆り立てていると思い込んでいたのだけれど、それだけではなかったのだ。

この頃に書いていた記事を読み返すとなにかじんわりと思い出すものがあって、noteをすこしずつ書き溜めていたことをとてもうれしく思った。

カウアイ島編 (2019年2月28日更新)
https://note.mu/maimukaida/n/n71ff24746616?magazine_key=m85e63a3533b8

創作することと、新しい命がやってくることはつながっていると感じる。私は不思議とずっと自分の人生には子どもを育てるということが起きないと思い込んでいた。なぜかわからない。何かおおきなきっかけやできごとがあったわけではないのだけど、ずっと子どもを産み育てるということは、私には関係のないことだと思っていた。それは、私にとって音楽を作ったり、小説を書いて純粋な創作をすることが自分には関係ないことだと思いこんでいたのと似ているような気がする。

2016年の春に信太と出会ってから、毎日共に時間を過ごし、浴びるように彼の音楽を聴いていた。信太のピアノはとめどない。一度きりの演奏がとめどなく湧き上がり続ける。そのさまを毎日、目の当たりにして、私は音楽というもののが、常に余るほどにあるのだということを身体のせんぶで感じるようになった。

信太は毎日、音楽を湧き水を汲むようにして、自然に手元に引き寄せた。私にとってそれはにわかには信じられない光景だったのだけれど、あまりにも自然のこととして、毎日繰り返され、どんなときでもピアノの前に座れば音楽が湧き出るようすを見続け、私にもそれは自然なことだということが、体に馴染んでいった。そうして、私自身も完全にその世界に住まうようになり、自分をいりぐちでぐちと見立てて、音楽の出づる所を探し当てることにしたのだ。

それは2018年5月8日の夕刻。私達は大きな百合の花が見守る中で成し遂げた。その10日後にこのA.O.という曲が生まれた。生まれたその瞬間の録音を最終作品としている。生まれた瞬間というのが、なにか圧倒的な響きを持っていると気が付き、私たちはそのようなかたちでの発表することに決めた。

生まれでてくる瞬間というのは、どうしてこんなにも特別なのだろう。すべての瞬間は本来であればいちどきりであることはたしかなはずなのに、私はよういにそれをわすれてしまう。そうして、日々の煌めきを見落とす。創作は、創造は、それを見落とすことを許さない。それを見落としていては創作ができないから。

創造の海に潜るとき、私はいちどきりのきらめきに見惚れる。創作はその作品の出口となる人間をこれ以上ないほどに悦ばせる。そういう、作品の出口となるひとが私はすきだ。かれらかのじょらは一様にとても穏やかで、満ち足りているようにみえる。いつも感じているからだろう。煌めきはとめどなく湧き続けていることを、背後に聴いているのだろう。

お腹のなかでにゅるりと動くこの新しい人は、私たちと共にこの数ヶ月の間、奏でている。残りひとつき半、私はお腹のなかに人がいるこのふしぎな時間のなかで、ひとつひとつ、湧き出てくる何かの出口となりたいとおもう。

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