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石仏の話(14)観光資源

風雨にさらされ立ち続ける道端の石仏は、それほど観光資源としての性格はもたない。
やはり仏像を観光資源とするのなら、由緒深き像を集め、秘仏化して、拝見期間を限定して高めの料金を設定することが必要になる。(高い料金のほうが、ありがたみが増す、と僧侶独特の考え方がある)

そういう寺は、まず寺に入る段階で入寺料を取り、その秘仏を見せる前にも拝観料を取り、秘仏の前には賽銭箱(お布施箱)まで丁寧に置いてある。

「金を払わないと見せてあげない」「お前たちのような人間に見せてあげるのだからお金(お布施は当たり前)」という、お寺の(上から目線の)意図が見え隠れしている。
かといって、特別な金のかかる(温度調節とか保湿機能がついた)保存機器に入っている仏像は少ないのだけれど。
(つまり、それほど保存コストはかからない、しいて言えば、雑巾代とか、洗剤料とか、火災保険料程度かもしれない)
僧侶の人件費とか、パンフレットの印刷費と言うかも知れない。

本当の「お布施」は、わが身を削っても、困っている他人に尽くすことではないだろうか。
「自利」を求めても、「利他」の心も行もない寺や僧侶が多過ぎる。
人の心を救う宗教者と言うより、善男善女から、ただ金をむしり取るだけの観光業者なのかもしれない。

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