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健さん(10)居酒屋店主美智代と「健さん」を語る①

「あら、ひとみちゃん?」
居酒屋の女店主美智代は、ひとみを見るなり、困ったような顔。
三十代前半、いつもは元気が取り柄の美智代にしては、実に珍しい。

「はい、美智代さん、何でしょう?」
ひとみは、「もしかして健さん?」と思うけれど、できれば他の女の口から「健の名前」を聞きたくないので、あえて自分からは言わない。

しかし、美智代の次の言葉は、予想通りだった。
「ひとみちゃん、健さんなの」
「ねえ、健さん、何かあったの?」
「この間、月島の駅で見かけてさ、真っ赤な顔して歩いているしさ」
「すこーし、足を引きずってさ、ガチガチの歩き方でさ」
・・・・美智代は、話し出すと、なかなか止まらない。

ひとみは、そんな美智代を手招き。
「健さんには私が言ったとは言わないで」
「それから、他の人にも言わないで」
と念を押し、「健の事情」を説明すると、美智代の顔は、あっと言う間に潤む。

「もーー・・・」
「そうだったんだ・・・」
「健さんらしいよねえ・・・」
「頑固で意地っ張りで、お人よしで」
「うんうん、わかった、誰にも言わない、言えないよ」

今度はひとみが、美智代に質問。
「ひとみさん、今日は・・・聞くまでもないかな・・・健さんのところに?」

美智代は、大きく頷く。
「うん、健さんのあの性格だから心配なんて嫌がる・・・とは思うけどさ」
「なんか、心配で仕方ないしさ、いろいろお世話になったしさ」
「うちの店に来る常連さんも、健さんが来ないって、心配していてさ」
「そう、親分も健さんがいないと飲んだ気がしないって、美智代、行って来いって」

さて、ひとみが美智代と、そんな話をしていると、父良夫が窓から顔を出す。
「ああ、美智代さん、ひとみ、電話したら、健君はまだ大学ってさ」
「帰るのは、10時過ぎって」

そんなことを言ってくるものだから、ひとみは気に入らない。
「お父様、それならそうと、早くおっしゃってください」
「ねえ、まったく美智代さんも、お忙しいのに」

しかし、美智代は、ひとみの反発などは、何も聞いていない。
「あらーー!佐藤先生!」
「佐藤先生も、最近は御無沙汰で、どうしたんです?」
「どこか体調でも崩されたとか、もう心配で」
「それとも、留守にすると、このひとみちゃんが心配?」

すると良夫も苦笑い。
「美智代さん、たまには家に寄って」
「ひとみが下手なりに、お茶を淹れるからさ」

美智代は、うれしそうな顔に変わる。
「はいはい、それではお邪魔します」
「ソフトな佐藤先生、大好きなの」
「高校生の時の家庭教師以来ですよね」

結局、美智代は家に入り、茶飲み話をすることになった。

ひとみは、父良夫の言うことが、また気に入らない。
「お茶を淹れるのが下手?」
「それに、美智代さんに、あの甘い顔は何?」
「美智代さんも美智代さんだ、ソフトな佐藤先生って何?」
「うーん・・・昔の家庭教師かあ・・・」
「でも、まあ、あやしくはないか、お父様はもう50代後半だし」

ひとみは、そこまで気持ちを落ち着けて、また別のことを思った。
「そうだ、居酒屋の健さん情報を、美智代さんに聞いてみよう」
「何を食べているかとか・・・」
「でも・・・常連さんはともかく、親分さんって・・・もしかして?」

そんなことで、ひとみは「話好き美智代」を、なかなか追い払えそうにない。

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