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カウンセラーとヨガ講師、意外な共通点とは?

こんにちは。臨床心理士・ヨガ講師の南舞です。今日は、『カウンセラーとヨガ講師の共通点』について書いてみたいと思います。

私は芥川舞子先生・洋輔先生から、【伝統的なヨガ】【ヨガの本質】を重んじるフリダヤヨガを学んできましたが、その中で印象的だった言葉があります。それは、

『ヨガの先生と生徒の関係性は、友人のようなものです』

それまで『先生は生徒に対して学びを与えるもの』という概念が頭の中にあった私にとって、予想もしなかった言葉でした。でもそれと同時に、妙に安心感を覚えています。なぜそういう感覚になったのか理由がよく分からなかったんですが、とある心理療法の本を読んでいて、腑に落ちました。

『多くの人は、セラピストとは何か悟りを開いたような人物だと信じてセラピーにやってくる。だからどんな問題も解決してくれるとか、すべてうまくいくようにしてくれると期待されるが、そんなことはない。』

『セラピストとクライエントの関係は、二つの山のようなものです。お互いに山を登り続けている。つまづきも失敗もある。お互い死を迎えるその日まで、山を登り続けるしかありません。』

上記の言葉は、【よく分かるACT/武藤崇】から引用しました。ヨガの学びって、『先生から習う』『先生は与える側』という印象が強く、そのために先生は何でも知っていなきゃいけないみたいな無言の圧力的なものを個人的には感じていて・・・もちろん先生と名乗るからには一般的にはそうなのかもしれないんだけど・・・だけど私の場合は違和感だったのですよね、何故か。

この本をきっかけに気づいたのですが、もともとカウンセラーが長い私は、『セラピストとクライエントは上下関係なく、対等でいるべきである』と教育されてきているので、根っからその精神が身についているのだと気づきました。カウンセリング界では有名なカール・ロジャーズも、クライエントの心の中に変化が起きる上で必要なことは、対等で信頼感のある関係性であると述べています。

先生であってもカウンセラーであっても、一人の人間としては現在進行形で生きていることに代わりはありません。だからつまづくこともあるし、失敗することもある。それはクライエントさんとまったく同じ。完全な存在ではないのだと思います。

もちろん!リーダーシップがあって引っ張ってくれるような先生も素敵だと思います。迷える時代だからこそ、そういう人の存在って輝いて見えるし、安心して付いていけると感じる方もいるでしょう。

『教える側と教えられる側』という上下関係って、個人的には占いと似ていると思っていて、その時は安心するんだけど、一定の時間が経つと助言なしではいられなくなるというか、またアドバイスを求めないといけなくなる。下手したら自分で考えたり振り返ったりすることなく、先生の言う通りにしか動けなくなtたり、先生という存在に依存しながら生きていかないといけなくなるかもしれない。

ヨガ講師の倉田麻衣子先生が、いい先生の条件を述べていたのを聞いたことがあって、『先生と生徒が対等な関係であること』とお話していた。その通りだよなぁと思ったのと同時に、そういう考え方のヨガの先生がいるということにとても安心感を覚えたのでした。

私が考えるヨガ講師とカウンセラーの間の共通点・理想の姿とは、生徒やクライエントと対等な立ち場でいること、生徒やクライエントからも学びを得ているという姿勢を忘れないことです。

そして、クライエントや生徒が自律していく過程では様々なことが起きます。そういった中で、生徒・クライエントにとって何が必要なのかということを常に考え、応援してあげられるような存在であれたらいいな。そう思ったのでした。




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