記憶
眼を閉じてみる夢は何回もループされている。
怖い夢はよく覚えていて、その先の展開も夢だということも覚えているほど。
だいたい私は走っているし、だいたい誰かに追いかけられている。
もしかしたら、無くしてしまいたい記憶が潜在意識まで浸透して、自覚症状としては「無意識」にそのことに対して罪悪感を抱いているのかもしれない。
もしそんな罪を過去におかしていたら、忘れたいことに蓋をしたことで更にきっとずっと一緒に生きていく記憶なのだろう。それが贖罪というものだ。
眼を閉じてみる夢は良かった記憶があまりない。
何回ものループ。
たとえ途中で起きたとしても、再び眠るとストーリーが再開される。
眠りに落ちる瞬間には底なし沼に沈んでいくような恐怖がある。身体は動かなくなるのに、意識はあり、でも強制終了をされてついには眠りに落ちていく。それはとても怖い。意識と身体がちぐはぐで、身体はやっぱり借り物なのだと実感する。
先日ヨガの瞑想のクラスに参加した時に、インドでのヨガの宗教としての考え方を教わった。
インドでは、輪廻転生という考えがあり、人は生まれて死んでの繰り返しを何回もしている。肉体は衰えても、精神はまた生まれ変わるという考え方。
化学の話だと、人間の意識は認識できているのは3〜5%で残りの95%くらいは潜在意識として眠っているそうだ。ヨガ的にはその95%の中の一部に前世の記憶が眠っていると。他には、この肉体に宿ってから経験した忘れたい過去や忘れてしまった過去なども眠っているそうだ。確かに、匂いや感覚で、すっかり忘れていた昔のことをふと思い出したりする。
私の能力では到底、今生きている現世での記憶を脳内にいくらか留めておくのがやっとだから、できるだけ覚えていたい。遠い昔のことは思い出さなくてもいいけれど、未来の私も過去の私もいたのだと思うとなんだか神秘的だ。
もしかしたら、今見ている夢は昔の記憶?それとも何かの暗示?もしくは抑え込んでいた感情?なんて考えてもあんまり意味がないから、今晩は気持ちよく眠れることを祈るばかりです。
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