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田口ランディ著「富士山」

明日、2024年2月10日、田口ランディさんのクリエィティブライティング講座にリアル参加する。

田口ランディさんに関しては「コンセント」以来の大ファンである。ずっと著作を追って来た。noteでも有料で不思議系エッセイを発表しておられるのでそれも購読していた。今回はタイミングが絶妙だったので、「えいや」と予約した。お会いできる機会はもうそんなに無いかと考える。一生に一回、このようなことがあっても良い。大ファンの作家先生にお会いできるばかりか、ライティングについてもご教示頂けるのだ。天にも昇る気持ち。ただ、上ずった気持ちばかりではいられない。しっかり3万5千円(+往復新幹線代約2万5千円)の元は取るのだ(私は関西人)。

事前に私は著作を読み返すことにした。選んだのは2004年に上市されてた短編小説集「富士山」だ。この本は勿論リリース当時に読んでいた。内容は覚えていないが富士山の山小屋はボッタクリ小屋で、ミネラルウォーターや白湯を高価販売しているという印象だけだったと記憶している。一方で、非常に評価されている作品というのは承知していた。ということで、この機会に今一度読了してみた。

結果、甚く感動した。

富士山をテーマにした4つの中篇小説。「青い峰」オウム信者だった青年が、バイト先のコンビニで同僚の女性との関わりにより心に変化が現れる。
タイムラインの混乱も新興宗教が背景にあるこの話においてはマッチして心地良かった。
この主人公の心情がとても理解・共感できた。物事の公平性を重んじる主人公。コンビニ仕事を真面目に行う元医大生。不思議だ。私は新興宗教の信者でも元信者でもないのに。作中に「富士山」が日本人の信仰の大元であるというのにも妙に納得した。
思わず小説内にあったコンビニと富士山の写真をググる。昔はgoogleなんてなかった。2004年当時、図書館でしか写真は観れなかった。写真集は置いて貰えないことも多いから、コンビニと富士山の写真を観ずにここまで来た。それが「河口湖ローソンと富士山」の写真で、Instagramなどでも人気スポットだと知った。web上で本写真を発見した時は感慨深いものがあった。

この主人公の前日譚が「樹海」だと勘違いしてしまい混乱した。

「樹海」に出てくる4人の子どもの秘密を読む最中に気付く。「樹海」の中で服薬して首つりした人を助けて、切れられるという描写が好き。リアル!!切実だった。この描写はさすがランディさんだと思った。綺麗ごとじゃない。死にたいから自殺を図ったんであって、それを救ったところで現実には感謝はされないだろう。
「青木ヶ原樹海」も今回初めて調べてみた。派生し、松本清張さんのあの小説もあらすじも読み耽ってしまった。実に興味深い、樹海。
1976年~和田慎二作「スケバン刑事」の、少年院脱出シーンで樹海、怖怖怖のイメージが強烈で、自殺志願者多数や、入り込んだらコンパス狂うとか,とにかく「ヤバい場所」としかイメージはなかったのだが、樹海が1200年前に富士山の噴火によってできた深い森であることもwikiを読んで知った。
なんでそんな「ヤバい場所」を現代まで放置してるのだ??とも考えていたのだがそれが「デカい森」なんだったら撤去しようがないよね・・・
森、といえば、当方のイメージではすぐに「ナウシカ」とか「トトロ」とか
「もののけ」が出てくる。そして何やら森林浴して癒されるイメージ。wikiによれば青木ヶ原樹海は、歩道整備もされ電波もOKで、森林浴にも適している場所とあった。学習して情報をリニューアルするって大事だなぁと考えなおした次第。なんか、今現在まで、私が知らないこと先入観だけでここまで看過してきたこと、沢山あるんだろうなぁと改めて感じた也。

「ジャミラ」が一番のお気に入りという読者も多いのでは?ゴミ屋敷に住む老人とそれを撤去しなきゃいけない役所の人間である主人公の話。何故かどちらの気持ちも共感出来て、読み捨てどころのない話だった。で、この主人公のばーさん「ジャミラ」が私の知人に似ている。

作者である田口ランディさんもご存じの「魔法使いかぼす」こと中川成子さんである(霊能者。2023年11月に急逝)。

かぼすさんとその相方の「おはぎ食人」と一緒に、とある温泉でランディさんは出会われて言葉を交わされている。推測するにこの小説を書かれた時くらい。私はジャミラのモデルはかぼすさんだったのでは?と考えている。

ランディさんが「君たちみたいに怪しい人、いるんだね~」みたいなことを言われ、そこからかぼすさんが「なんか顔、似てますよね」とランディさんに告げた。そこから、交流は特になかったが、時折開催されるランディさんの講座にかぼすさんはイソイソと参加していた。facebookにかぼすさんが「生前香典」を募って、後に一瞬復活していた時もメッセージを残されている。「(復活した)この経験を糧に自叙伝書いて~」みたいなことを。

結局、かぼすさんはその翌年に亡くなった。私は、かぼすさんと20年来の知人(私が客)であるが、お別れの会にも行かなかった。(かぼすさんが亡くなったことが)無性に腹が立ち、今でも続いている怒りとも悲しみとも寂しさとも何とも言いようがない感情が入り乱れているから。かぼすさんの現在の関係者とも性格が合わないというのもあった。オーラが、とかチャクラが、とか言う人が苦手になったのもある。かぼすさんは「あの世でのお勤めがあるから」と夢で菩薩的な人に言われたらしく、それで、代替療法や、その他の治療を拒否されたと聞いた。何それ?と思った。
あの世での仕事なんて、ないっすよ、かぼすさん。生きて、導いてくれるんじゃなかったの?マインドを保ては健康を保てるんじゃなかったの?無農薬野菜を食べたらオッケイじゃなかったの?
かぼすさんはロックな人だった。けどその最後はカッコ悪いと思った。周りの取り巻きの人もダサい。
私はこれからは目に見えない世界は信じないぞ、と決心した。

「ジャミラ」はかぼすさんのカオナシバージョンである。社会性を失ったらかぼすさんはこんな人だ。ランディさんが意図されたか意図せずだったかは不明だが。気に入らないものは心の穴に捨てる事で、精神を保ってきた役所の人に我共感。


ひかりの子・産婦人科の看護師 富士山で御来光を見る為に登山する女達。 短編ながら、内容が濃い。産婦人科勤務のナース。当時は看護「師」ではなく看護「婦」と表記してある。赤ちゃんを抱っこしていると抱っこされている気分になる、というのに泣けた。私もそう感じている。息子をだっこしていた時・猫に顔を埋めている時。
妊婦を狙って刺した犯人。殺す!!こんなにも感情を揺さぶられるのは、ランディさんの筆運びがリアルだからだ。

「田口ランディ」 ググると盗作の文字が検索ワードであがる。盗作されたという藤森 直子のFuckin' blue filmも当時買って読んだ。私は盗作なんてどうでも良いし、寧ろどうにも素人の作品(日記?)をランディさんがインスパイアを感じてくれたのを喜ぶべきだと考える。

いかんせん、私ももう30代ではない。あれから20年である。性愛も情動も遠い昔。懐かしく諸々想う。ランディさんも何処かで書いておられたが、解放されて本当に良かった、と。私も同じことを想う。狂気に満ちた性愛・情動・承認欲求・抽象的な世界の薄い氷の板のバランス板に乗っているみたいな、動いてない・喋っていないと・承認されていないと死ぬ病にかかっていたあの頃のことを、懐かしく思う。

誤字脱字、意味不明な箇所あるが、公開し、明日に臨む。

#わたしの本棚


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