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「幸せ」にならなくていい。

I really want you to be happy
あなたに幸せでいてほしい。

私にとってこの言葉は、時折、
鋭く尖った刃物の先を向けられているような、そんな感情をつくる。
常に笑顔でいることを強要され、そうできていない自分を否定されているかのような気持ちになる。
そして、そうできないことに罪悪感さえ覚え始めるのだ。

それは決して、相手のせいではない。
その言葉のせいではない。

それはただ、その時の自分がそれに何を投影しているか、ということにすぎない。自分がそれにどんな意味付けしているか、ということにすぎない。

自分に影響を与えられるのは自分だけ、とはよく聞くが、
本当にその通りだ。

私は「幸せ」に自分なりのイメージを持っている。
それは私だけではないだろう。
目に見えないものが存在するためには、それに誰かが意味を、イメージを、持たせるしか方法はないのだから。

私は「幸せ」にこんなイメージを持っている。
・常に笑顔でいる
・イキガイがある(無我夢中になれるものがある)
・周りの人の助けになっている
・周りの人を笑顔にすることができる
・たくさんのお金を稼いでいて、経済的に自立している 、社会貢献している
etc…
要は、自分の思い通りになっている状態=「幸せ」だということだ。

だから、自分のイメージに自分が当てはまっていないと判断すれば
苦しくなる。

「私は」全てを自分の思い通りにしたいという欲望の塊だ。
それを思考と呼んだり、感情と呼んだり、エゴと呼んだりする。

あれがほしい これがほしい
あれがあれば… これがあれば….
ああなりたい こうなりたい
あれがもっとこうだったら…

そうやって行動し続ける(もしくは考え続ける)

そういう欲望があり、その欲望に忠実に生きられる人がいるから
この世界がどんどん便利に効率的になっているのも確かだ。

しかし、全てを自分の思い通りにしたい欲望は尽きることはない。
一つ達成すれば、また次の欲望が湧いてくる。
そしてまた走りだす。いや、そうやってずっと走り続けることになる。

それができるようにプログラミングされて生まれてきている人もいれば、
そうでない人もたくさんいる。
にも関わらず、「私は」それに気づかない。
それを認めたくないだけかもしれない。

だってそれを認めたら
惨めだから。
自分が消えてしまいそうで怖いから。
希望がなくなりそうで不安だから。

変わりたい 変わりたい 変わりたい
自分の欲しいもの全部手に入れて
自分の思い通りの状態にできれば
「私は」「幸せ」になれる。
だから「私は」変わりたい。人生を変えたい。
だらか行動しなきゃ。走り続けなきゃ。
止まってなんかいられない。
止まったら惨めな自分に戻ってしまう…
止まったら自分を嫌いなままだ…自分を好きになりたい…

そう思うのではないだろうか?

全てを自分の思い通りにしたい欲望は尽きることはない。
一つ達成すれば、また次の欲望が湧いてくる。
そうやってずっと走り続けることになる。永遠に。
息が切れても、足が痛くなっても、
苦しくて苦しくて苦しくて仕方なくても。

途中の給水所で、一瞬の「幸せ」を感じられるかもしれない。
そしてまた走る。終わりなき道を走り続ける。
またあの一瞬の「幸せ」を感じたくて、一生懸命に。

足を止めてみて、ようやくわかることがある。
それは、「幸せ」は儚い夢であることに。幻であることに。
一瞬で消えていく。跡形もなく。

「幸せ」を追い求めなくていい。
「幸せ」にならなくていい。

自分の持つ「幸せ」のイメージが消えるとき
そこに残るシアワセは
そこにあるシアワセは
なんだろう?

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