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奇跡の話。連合艦隊vsバルチック艦隊。皇国の興廃この一戦にあり!本日天気晴朗ナレドモ浪高シ

日本が国際社会へデビューした日露戦争。戦争が良いものではないことは承知しつつ、ただ史実を書きとどめたい。

連合艦隊とバルチック艦隊の決戦 は戦争のハイライトであった。


ある島民が黒煙を昇らせた巨大な大艦隊、バルチック艦隊であるが、を夜明けの対馬沖に見た。
腰を抜かしながら急ぎ村役場に駆け込み、それが伝わった。

ロシア艦隊接近の報告を受け、海軍参謀秋山真之は全軍に向け即座に打電、

「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直チニ出動、之ヲ撃滅セントス」

受け取った電信係が素早く部屋を出ようとしたその時 、「待て」と呼び戻し付け加えた 。何かひらめいた

全軍と東京の参謀本部への電文。

「敵艦隊見ユトノ警報ニ接シ、連合艦隊ハ直ニ出動、コレヲ撃滅セントス」

それに付け加えられた一文は
「本日、天気晴朗ナレドモ浪高シ」
である。

波乱の予感であろうか。

皇国の興廃はこの一戦。全軍に最高度の緊張が走った。


バルチック艦隊













          ↑
          ↑
          ↑
          ↑
          ↑
          ↑
          ↑
         連合艦隊


 【東郷ターンとは? 】


  バルチック艦隊は縦列で進行
      ↓
      ↓
      ↓
      ↓
      ↓
      ✖
      ⇑
  (全砲門を敵の先頭艦に集中させる)
      
 ← ← ← ← ← ← ←  回頭  左折【これが東郷ターン】
              ↑

              ↑

              ↑
                
              ↑

バルチック艦隊の進路を回頭展開でふさぎ 、艦船の横の砲門を全艦で縦列に直進してくる敵の艦隊先頭艦に照準し集中させる。


〇東郷艦隊の前の戦い方。スペインもポルトガルもイギリスもすべてこれ 。

先頭艦同士で叩き合う。

→→→→→→ ✖ ←←←←←←
 開戦

劣勢になったほうが逃げる


負けそうな側が避けて逃げるために過去の海戦は全滅した例がなかった 。

パーフェクトゲームで全滅させたのは連合艦隊が史上初であった。

旗艦三笠の先頭に立っていた東郷平八郎提督 。

夕刻にバルチック艦隊の全艦操舵不能を見届けた 。
「提督 海戦は終了した模様です」
「ふむ」

東郷平八郎 は先頭の甲板から降りたその時、若い海軍参謀は驚いた。
甲板の東郷の靴の足跡だけ床が乾いていた のである。

付近の海や甲板に着弾し続けたため、波しぶきは東郷平八郎をずぶぬれにしていたが開戦と同時にその先頭の位置からまったく動かなかったため、足跡だけ乾燥していたのである。

東郷平八郎

老齢の東郷は鳥羽伏見の戦いに少年砲兵として参加していた。

戦史に残る東郷ターンであるが実は回頭のタイミングが遅いのでは?と指令室の参謀はみな焦っていた。
落ち着きすぎではないか?あのベテランは?と

しかしバルチック艦隊も途中で相手の意図は読む。
「このままでは悲惨な目に合う」
と左折して逃げようとしたのか、同じ横列にしようと焦り動いた。

しかし東郷提督の回頭指示のタイミングは存分ギリギリまで引きつけていたものだったために間合いが詰まっており東郷艦隊から逃れられずにああなった。

バルチック艦隊のこちらに来る速度と連合艦隊の速度を読み切った上での回頭、さらにその後の敵艦の逃げる動きも読んでいた?すべて完璧だったのは職人の感覚なのか?

※戊辰戦争の火ぶたを切った幕府軍への薩摩の砲撃は当時少年兵だった東郷平八郎の一撃だった。

【連合艦隊解散の辞】~勝って兜の緒を締めよ~


二十ヶ月にわたった戦いも、すでに過去のこととなり、我が連合艦隊は今その任務を果たしてここに解散することになった。
しかし艦隊は解散しても、そのために我が海軍軍人の務めや責任が軽減するということは決してない。

この戦争で収めた成果を永遠に生かし、さらに一層国運をさかんにするには平時戦時の別なく、外の守りに対し重要な役目を持つ海軍が 常に万全の海上戦力を保持し、ひとたび事あるときは、ただちにその危急に対応できる構えが必要である。

戦力というものは、ただ艦船兵器等有形のものや数だけで定まるものではなく これを活用する能力すなわち無形の実力に左右される。
百発百中の砲一門は百発一中、いうなれば百発打っても一発しか当たらない砲の百門と対抗することができる。
この理に気づくなら、われわれ軍人は無形の実力の充実すなわち訓練に主点を置かなければならない。

この度、我が海軍が勝利を得たのは将兵の平素の練磨によるものであり、それがあのような戦果をもたらしたのである。
もし過去の事例をもって、将来を推測するならば、たとえ戦いは終わったとはいえ安閑としてはおれない。

考えるに、武人の一生は戦いの連続であって、その責任は平時であれ戦時であれ、その時々によって軽くなったり、 重くなったりするものではない。ことが起これば戦力を発揮するし、事がないときは戦力の涵養につとめ、ひたすらにその本分を尽くすことにある。

過去一年半、あの風波と戦い、寒暑に耐え、 たびたび強敵と相対して生死の間をさまよったことなどは、容易な業ではなかったが、これもまた長期の一大演習であり、これに参加し多くの知識を啓発することができたのは武人としてこの上もない幸せであった。戦争で苦労したなどというべきではない。

もし武人が太平に安心して目の前の安楽を追うならば、兵備の外見がいかにりっぱであっても、 それはあたかも砂上の楼閣のようなものである。
ひとたび暴風にあえばたちまち崩壊してしまうであろう。

西洋史をみると、十九世紀の初期、ナイル及びトラファルガー等に勝った英国海軍は、祖国をゆるぎない安泰なものとしたばかりでなく、それ以降、
後進が相次いでよくその武力を維持し世運の進歩におくれなかったから今日に至るまで永く国益を守り、国威を伸張することができた。

このような古今東西のいましめは、武人が平和なときにあっても、戦いを忘れないで備えを固くしているかどうか、それが自然にこのような結果を生んだのである。

われら戦後の軍人は深くこれらの実例を省察し、これまでの練磨のうえに戦時の体験を加え、 さらに将来の進歩を図って時勢の発展におくれないように努めなければならない。

☆中略

神は平素ひたすら鍛練に努め、戦う前に既に戦勝を約束された者に勝利の栄冠を授けると同時に、一勝に満足し太平に安閑としている者からは、ただちにその栄冠を取り上げる。

古人いわく
「勝って、兜の緒を締めよ」



明治三十八年十二月二十一日     

                連合艦隊司令長官    東郷平八郎

この大戦争も訓練だったと考えなさい

勝って兜の緒を締めよ



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