人生を変えるたった1回の授業

あの日あの授業を受けられただけで、大学に行った意味があったと思っている。

そう言ったら、学費を出してくれた親に失礼だろうか。


大学2年生のときのこと。当時19歳か20歳。なぜか土曜日の授業をわざわざ履修していた。授業名は忘れてしまったけど、教壇に立つ先生の姿はぼんやりと覚えている。

それは「人生を変える1冊の本」を紹介してくれた授業。

授業の中で先生が熱弁していた本。元FOCUSの記者、清水潔さんの「桶川ストーカー殺人事件ー遺言ー」(新潮文庫)は、人生に影響を与えた本ナンバーワンになった(2019年10月現在)。

私はこの本に、「多数決」を疑うことを教えてもらった。読む前と読んだ後で、価値観が反転したのをはっきりと認識している。事件の悲痛さはもちろんだが、「信じるに価する」と思われているものの危うさを痛烈に感じた。

それまで、「テレビや新聞が正しくて、週刊誌は嘘つき」と本気で思っていた。正しい情報を知りたければ新聞。週刊誌の中吊り広告をチラ見しては「下品だな、嘘なんだろうな」本気でそう思っていた。2019年現在、マスコミの捉えられ方もだいぶ変わってきているが、2005年当時はまだまだそんな風潮だったと思う。「文春砲」なんて言葉もまだなかった時代だ。この本で描かれているのは、「ていたらくな警察の発表をそのまま垂れ流す記者クラブ所属の大手『一流』メディア」であり、『三流』(※ご自身で書かれている)の週刊誌の記者という立場で真実に迫る清水さんの姿だ。しかも、私が「下品」と決めつけていた週刊誌の記者である清水さんが、誰よりも遺族に寄り添い、信頼を得ている。それはそれは衝撃で、大多数が信じているものは信じられると疑わなかった自分の価値観がひっくりかえった。

そんなこんなで、卒業論文は「週刊誌の存在意義」にした。

それまで毛嫌いしていた週刊誌を全力で応援する気持ちで論文を書いた。週刊誌がある社会こそ健全な社会だと。カウンターだからこそ迫れるものがあるし、あの中吊り広告だって社会のどす黒い気持ちを引き受けてくれているんだと。週刊誌が元気がない時代は、きっと言いたいことが言えない気色悪い時代だ。(気持ち先行で、論文の完成度は目も当てられない)

この本によって就活が上手くいったとか、仕事で成功したとか、そんなわかりやすい変化ではない。でも、あの本にあの時期に出合っていなかったら、いまの自分ではなかったように思えてならない。それ以降に巡り合う情報への向き合い方が、まったく変わったのだから。


この本以外にも、大学時代にゼミで読んだ本や紹介してもらった映画は、自分を構成する大切な要素になっている気がしている。毎時間の授業に感動し、毎時間の授業内容を覚えているのは相当難しいことだと思う。あの日のあの授業のことを覚えているのは、私くらいかもしれない。だけど、たった1回でも強烈に突き刺さる授業を受けることができたのは本当に幸福だ。先生に感謝だ。

そして、そんな「たった1人の人に強烈に刺さる」ものを提供できる人になりたいな、そんなことが1回でもできたら幸せだなと、思う。





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