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死にたいと思っている人へ

私は、再婚してから、

最愛の夫と最愛の息子(夫にとっては連れ子)の関係で苦しんでいて、

こんなに苦しいなら死にたいと

度々思うようになりました。

私はこのことを経験して、

「死にたい」という気持ちとどう向き合っていくか、

ということについて自分なりに考えたことを

書きたいと思います。

これは、

あくまで私が考えている内容のシェアであって、

「こう考えるといいよ」というアドバイスでも、

「こう考えるべきだ」という教えでも、

「こう考えることが正しい」という意見でも、

ありません。

センシティブな話題ですので、

それを理解してくださる方だけに

読んでいただきたい内容です。

1.生きている限り「死にたい」と思って当たり前

私は記憶にある限り、

本当に死にたいと思ったのは、

つまり死んで逃れたいと思うほどの苦しみに出会ったのは、

(再婚してから)ここ2年くらいのことです。

(夫や子供のために言っておきますが、

夫のことは愛しているし尊敬しているし、

再婚して本当によかったと思っています。

息子も可愛くてかけがえのない存在です。

そして、苦しみの原因は、

夫でも息子でもなく、

私にあるとはっきり分かっています。

(分かったところですぐになくなる訳ではありませんが))

それまでの人生においては、

一時的に生きる希望が見つけられないくらい

落ち込んだことはあっても、

死にたいと思ったことはなかったです。

環境として恵まれていたのかもしれません。

生きていればいいことあるさ、と

能天気にポジティブだったのかもしれません。

でも、今回のことがあって、

人生のどこかの段階で、

死んでしまいたいくらいの苦しみに出会うのは、

普通なことだと身をもって分かりました。

お釈迦様も言っていますが、

愛する人にも自分にも必ず老いや病気はやってくる。

自分の無力さに絶望する。

愛する人の死も自分の死も絶対やってくる。

どんな素晴らしい思い出でも埋めることのできない喪失感に襲われる。

それは逃れられない訳です。

どんなに先送りしても、

どんなにごまかしても、

いつかは向き合わなければいけないことです。

それらは自分で選ぶことはできませんが、

まだ若い段階で、

向き合わないといけない人も多くいます。

何かでごまかすことができて、

先送りにできている人もいます。

でも、いずれ向き合うことになる死にたくなるほどの苦しみの時に、

「人は幸せになるために生きるのだ」と

思っていたら、

何でこんなに私は苦しんでいるのに

生きていかなきゃいけないんだろう、

という余計な悩みが増えるし、

「他のほとんどの人は生きていて幸せなんだ」と

思っていたら、

私も何とか幸せになる方法を探さなきゃ、

という余計な苦労が増えます。

逆に、

「生きることは大変で苦しいことで、

死にたいと思って当たり前なんだ」

って気づいたら、

私は少し気楽になりました。

2.「死にたい」と思うことは”わがまま”

私たちは生まれてきたこの身体も、環境も、選べません。

結果、自分にどんな出来事が起きるかが選べないのと同時に、

それに対してどう反応し、考え、判断し、行動するのかも、

既に決められたプログラム通り作動するだけで、

そこに自由意志はあるようで、

何一つ選ぶことはできません。

つまり、目の前に起きたことは、

それに対して自分がどう行動するのかも含めて、

それをありのまま受け入れることしか選択肢はないのです。

それに対して、苦しいから死にたい、というのは、

一種のわがままであり、

目の前のできことが嫌だ嫌だと駄々をこねている状況なんだな、

と思うようになりました。

(こう思うことも、私には選べないことです)

今目の前に起きていることがどんなに辛くても、

生かされているなら、生きるしかない。

逆に、

死ぬようなことなら、どんなに逆らっても死ぬしかない。

わがまま言っても仕方ない、

といい意味であきらめて納得するようになりました。

3.この現実は、移りゆく幻想でしかない

眠っているときにみる夢は、

感覚としては自分が体験しているという意味で

現実とも言えるけど、

目が覚めたらそれらは実在していないという意味で

幻想とも言えます。

それと同様に、

この現実の世界も、

感覚としては自分が体験しているという意味で

現実とも言えますが、

眠ったり、死んだりすれば、

またはそのことを考えなければ、思い出さなければ、

それらは実在していないという意味で

幻想とも言えます。

どんなに苦しいことも、

私たちが一時的に見ている夢であり、

ずっと続くことはない幻です。

それが分かると、

自分がその出来事に入り込んで、

大変だ!何とかしなきゃ!と一喜一憂することが、

ある意味馬鹿らしくなります。

死にたいほどの苦しみは、

その出来事を確固たる現実のものだと自分が認識し、

それが確固たる自分の身に起きていることだと認識するから、

ますます深刻になります。

それが、映画のような一時的なストーリーであったら

どうでしょうか。

それが、自分に起きていることではなく、

映画の主人公に起きていることであったら

どうでしょうか。

主人公に感情移入してしまうことは多々ありますが、

あくまでも客観的な視点を保つことで、

なぜ自分が今こんな苦しい思いをすることになっているのか、

を冷静に考え、対処することができています。









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